2021.11.28宣教「いのちの光であるイエス・キリスト」ふ
2021年11月28日礼拝説教レジュメ
「いのちの光であるイエス・キリスト」
(ヨハネの福音書1章1~12節)
アドベント 待降節
4本のローソクは希望・平和・喜び・愛
アドベント第一週は希望 ローソクは光 希望の光
1.いのちの光であるイエス・キリスト
1節 「初めに、ことばがあった。」「ことばは神と共にあった。」「ことばは神であった。」
2節 「この方は、初めに神とともにおられた。」
3節 「すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもなかった。」
4節 「この方にはいのちがあった。このいのちは人の光であった。」
ヨハネの福音書8章12節
「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく
いのちの光を持ちます。」
詩篇119篇105節
「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」
5節 「光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。」
2.暗き闇 ※ヤコブの闇からの脱却、偶像からの解放
創世記32章24-31節
24 ヤコブが一人だけ後に残ると、ある人が夜明けまで彼と格闘した。
25 その人はヤコブに勝てないのを見てとって、彼のももの関節を打った。ヤコブのももの関節は、その人と格闘しているうちに外れた。
26 すると、その人は言った。「わたしを去らせよ。夜が明けるから。」ヤコブは言った。「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。」
27 その人は言った。「あなたの名は何というのか。」彼は言った。「ヤコブです。」
28 その人は言った。「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたが神と、また人と戦って、勝ったからだ。」
29 ヤコブは願って言った。「どうか、あなたの名を教えてください。」すると、その人は「いったい、なぜ、わたしの名を尋ねるのか」と言って、その場で彼を祝福した。
30 そこでヤコブは、その場所の名をペヌエルと呼んだ。「私は顔と顔を合わせて神を見たのに、私のいのちは救われた」という意味である。
31 彼がペヌエルを通り過ぎたころ、太陽は彼の上に昇ったが、彼はそのもものために足を引きずっていた。
○ヤコブと格闘した見知らぬ人はいったい誰だったのでしょうか?
○ヤコブの行動
○神の弱さ マタイ16章25節「自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者はそれを見出すのです。」
3.光がやってきた
9節 「すべての人を照らすそのまことの光が、世に来ようとしていた。」
10節 「この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。」
イザヤ書53章1-3節
1 私たちが聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕はだれに現れたか。
2 彼は主の前に、ひこばえのように生え出た。砂漠の地から出た根のように。彼には見るべき姿も輝きもなく、私たちが慕うような見栄えもない。
3 彼は蔑まれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で、病を知っていた。人が顔を背けるほど蔑まれ、私たちも彼を尊ばなかった。
11節 「この方は、ご自分のところに来られたのに、ご自分の民はこの方を受け入れなかった。」
12節 「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」
マタイの福音書4章16節
「闇の中に住んでいた民は大きな光を見る。死の陰の地に住んでいた者たちの上に、光が昇る。」
イザヤ60章1~3節
1 「起きよ。輝け。まことに、あなたの光が来る。主の栄光があなたの上に輝く。
2 見よ、闇が地をおおっている。暗黒が諸国の民を。しかし、あなたの上には主が輝き、主の栄光があなたの上に現れる。
3 国々はあなたの光のうちを歩み、王たちはあなたの輝きに照らされて歩む。
4.光の子どもとして
ヨハネ12章36節
「自分に光があるうちに、光の子どもとなれるように、光を信じなさい。」
エペソ5章8節
「あなたがたは以前は闇でしたが、今は、主にあって光となりました。光の子どもとして歩みなさい」
ヨハネの手紙第一1章7節
「もし神が光の中におられるように、光の中を歩んでいるなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血がすべての罪から私たちをきよめてくださいます。」
ヨハネの手紙第一2章10節
「自分の兄弟を愛している人は光の中にとどまり、その人のうちにはつまづきがありません。」
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