ポットラック・ディナー&ミニコンサート

11月11日(土)浦安国際キリスト教会

私はクリスチャンになって40年過ぎました。その間、この道に入ったことを後悔したことは一度もありません。35歳で洗礼を受けたので、随分年も取っています。教会までは電車を二つ乗ってバスにも乗って行きます。バスに乗らないで歩いて礼拝に行く朝は最高です。涼しい海風と季節替わりの花が美しい木々のトンネルを歩いて行くと、自然に天地を創造された神様のことが思い起こされ、感謝の気持ちが湧いてきます。歩きながら自分の必要のため、メッセージを下さる牧師のため、神様が会わせて下さった信仰の友のためなど、色々な祈りができる神様とお話できる最高の時です。クリスチャンになると幸せになれると言われているのはこの事だったのだと、やっと解った気がします。—  泉保 孝子 Takako Senbo

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“おどろくばかりのめぐみなりき このみのけがれをしれるわれに めぐみはわがみのおそれをけし まかするこころをおこさせ きけんをもわなをもさけえたるは めぐみのみわざというほかなし みくににつくあさいよよたかく めぐみのみかみをたたえまつらん”

この歌を賛美する時どっと涙がこみあげてきます。この身に持つ深い罪を示され、良心がうずきます。聖書がいう罪から逃れられず肉のままに生きている私がここにいるからです。

“この身のけがれを知れるわれに”...この節に入ると痛める心のあえぎを押さえきれず、「許してください、主よ!主よ!!」と涙が堰を切ります。

イエスが流された十字架の血潮で清められて40年の教会生活を数えます。この先、地上の騒々しい音にかき消されて、み声が聞こえなくなっていく時にも、永遠に変わることのない奥義を悟らせてください。恵みの内に真の成長をさせてください。と祈るばかりです。

​“恵みの御神をたたえまつらん”と歌いつつ、とるに足りないこのような私を赦し愛してくださった大きな愛のゆえに、その恵みのゆえに感謝の涙をささげます。

—  臼井 昌子 Masako Usui

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これから私が神さまからの救いをいただいた経験をお話しさせていただきます。

さきに私の生い立ちから簡単にお話させて下さい。私は父・母・姉・祖母の5人家族でした。両親が共働きだったこともあり、金銭的な不自由はなく、また祖母が私達の面倒を見てくれ、学校から帰ると“おかえり”と迎えてくれて、とても恵まれた環境に育ちました。

 そんな中、私が中学校2年生の時に、父が自営業の仕事で多額の負債を負い、家族の生活は一変しました。もちろん、家族の関係にも亀裂が生じました。大好きな父と母が毎日喧嘩をし、毎日誰かしらが泣き叫ぶ日々でした。両親から離婚の話をされましたが、私は、大切な家族が離ればなれになるのは考えられないから絶対に嫌だ、と告げました。

両親はその意見を聞き入れてくれて、二人は仲が悪くても、今まで通り変わらず私たち姉妹には愛情を注いでくれました。

高校は金銭的に難しいかもしれないと言われましたが、希望の高校と短大に奨学金を借りて入学しました。そこはカトリックのミッションスクールでした。この時は、キリスト教が、なんかいいなぁ、と思う程度でしたが、これが神さまのご計画のうちだったことを後に知ることとなります。

この時、母は心身共に疲れ果て、友人の紹介で教会を訪れました。母はここで神さまから救いを受け、洗礼をうけることになります。私は時々一緒に母と教会に通っていました。

この時、私が初めて神さまに救われた体験がありました。教会には、親戚でも友人でもない人たちが、私を温かく迎えてくれて、包みこむように励ましてくれました。その時に感じた温もりは今でも忘れません。そして同時に、神さまの恵みをいただいている人はこんなにも優しく、強く、麗しいのかと思いました。正直このとき、牧師さまがどんな説教をしてくれたかは全く覚えていません。でも、私はこの教会に行く事、学校での祈りの時間の中で、神さまの恵みをいただい事は間違いありません。

高校ではアルバイトをし、お小遣いを稼いでいました。でも、私にとってアルバイトは多くの友達ができ、色んな経験をすることができた素晴らしい場でした。以前の私は欲しいものは何でも親から与えられ、他人の痛みなどわかる人間でなかったと思います。そんな私に神さまは試練を通して、このような場を与えてくださり、よりよい人間になる為に私を育ててくださったのだと思います。

 時は流れ、私は結婚し、素晴らしい伴侶に恵まれました。神さまが私に最善な人を送ってくださったのです。主人は、キリスト教の教えを信じる私を一度も否定することはありませんでした。海外旅行に行ったら必ず教会巡りに付き合ってくれましたし、今では毎週礼拝に一緒にきてくれるので、とても感謝しています。

 ある日、家族から連絡がきて、大好きな母が胃がんを再発し、ステージ4であることを知らされました。母を失うかも知れないという恐怖と悲しみが押し寄せ、主人と二人で泣き崩れました。

そして大きな大学病院で治療が始まりました。母は治療に前向きで、逆に私たちの方が元気をもらっていました。私は平常心が保てず、どうしていいかわからずにいました。食欲がでず、夜も眠れず、病院に行ったところ、急性のストレス障害と診断されました。

そんな時です。

教会に行かなきゃ!と、心が教えてくれました。いつも神さまの事は頭の中にありましたが、この時聖霊さまの働きなのか、気付けばここ浦安国際キリスト教会に連絡をしていました。すぐにUさんから電話があり、礼拝はコロナのため行っていないが、いつでもお話は聞きますよ、と言ってもらいました。

そして、Uさんと新しく着任されたばかりの小塚先生から連絡をいただき、個人的にお話をする機会をいただきました。お二人は熱心に、歩み寄って私の話を聞いてくれました。暗い霧の中にいた私を、明るい世界へと引っ張りだしてくれたのです。この時の感情は私が高校生の時に感じたものと同じでした。この時が神さまからの二度目の救いを体験したときです。また同時に、イエスさまの教えが、私がこれから生きて行く上で必要なものだと確信し、道しるべを見つけた瞬間でした。ここから、私の教会生活がスタートします。

   この教会で初めて礼拝に参加したとき、皆さんお一人おひとりが優しくしてくれて、とても嬉しかったのを覚えています。毎週ここに来るとホッとできる場所です。私にとって皆さんは大切な家族です。

小塚先生は、私がミッションスクールに通ったことも、実家のことも、結婚のことも、ここの教会に来たことも、全て神さまのご計画の中にあるものだと教えてくれました。そして、神さまは最善な時に最善な事をなさってくださる、と。

   私は今まで辛くて、苦しくて泣くことが幾度かありました。ですが神さまは、楽しいこと、嬉しいことだけでなく、いろんな境遇を通して、私が成長できるように気づきの機会を与えてくださったのだと思います。イエスさまがなされたように、他人に歩み寄ること、愛することがいかに大切かを学びました。

創世記でエヴァがのちに造られたように、人は一人では生きていけません。私達は血縁者だけでなく、一人ひとりの人間と交わり、互いに理解しあい、神さまの管理下のもと仲良く生きていくべきなのだと思います。そしたら、人生は楽しく、辛いときも手を取って支え合い、生きていけるのだと。天国にいくまで、私は神さまの子とされる方たちと過ごして行きたいと思いました。生まれる時と死ぬ時は誰でも一人です。でも生きているときは、周りに沢山の人がいます。互いに手を取り生きて行く術を、神さまは聖書を通して教えてくださいました。そして生きてる時に淋しくないように、家族がいなくなって、ひとりぼっちになっても大丈夫なように、教会に家族を作ってくれました。本当に私たちは恵まれているのだと感じます。私の長期的な目標は、自分の家族も神さまの子として生きていくことです。なので、これからのクリスチャン人生、自分の行動をもって、友人や家族に伝道ができればと思っています。

現在の実家の家族ですが、仲良く手を取り合い、支え合って生きています。

天国でまた一緒に暮らせたら最高です。

最後になりましたが、私の心に残る聖句です。

第一コリント10章13節

『あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にああわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。』

私が今まで何度も神さまに救っていただいたことばです。この言葉には、神さまの偉大さ、懐の深さ、ご慈愛が詰まっています。

耐えしのげば、必ず光にたどり着くと教えていただきました。

まだ殻から飛び出したばかりのヒヨコですが、立派なニワトリになれるように、皆様、今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

以上で私のお証しを終わります。  

-A子さん、受洗式での信仰告白
 

編集後記 A子さんのお母様、T姉妹は、A子さん受洗の一月後に天に召されました。
お二人は離れていてもなお、イエス様をとおしてつながっています。