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工場の花輪3
今週のことば

毎週に一度、皆さまにヘンリ・ナウエンの著書よりメッセージをお届けいたします。

2023年10月1

10月1日 イエスは自らを与える
 友人たちを食事に招くとき、食べ物以上のものを提供します。友情、交わり、楽しい会話、親交、親近感がそこにはあります。「ご自由にどうぞ・・・もう少しいかがですか・・・遠慮なさらずに・・・もう一杯どうぞ」などと言うとき、招待した人たちに、食べ物や飲み物だけでなく、私たち自身を与えています。霊的絆が深まり、私たちが互いの食べ物、飲み物となります。
 聖餐においてイエスがご自身を食べ物、飲み物としてお与えになるとき、最も完全な形でそのことが起こります。ご自身の体と血を私たちに与えることにより、もっとも親しい交わりを提供されます。それは神聖な交わりです。   

10月2日 最も人間的で、最も神聖なしぐさ
 エマオへの途上、近づいてきた人と共に歩いた二人の弟子は、その人がパンを裂いたとき、イエスだとわかりました。パンを裂く以上によくあるしぐさがあるでしょうか。それは、人のしぐさの中でも、最も人間的なものでしょう。もてなし、友情、ケア、そして一緒にいたいということを表すしぐさです。パンを取り、祝福し、それを裂き、食卓を囲む人たちに分け与えることは、一致やコミュニティ、平和を表しています。イエスがこれをするとき、最も普通のことであると同時に、最も特別なことをされるのです。それは、最も人間的であると同時に最も神聖なしぐさです。
 偉大な神秘は、この日々の最も人間的なしぐさが、私たちの間におられるキリストに気づく道だということです。私たちが最も人間的であるとき、神の臨在が最も明らかになります。   

10月3日 無防備と信頼の場所
 食卓のまわりに集まり、同じパンを食べ、同じ杯から飲むとき、互いにもっとも無防備な状態になります。銃を肩にかけ、ピストルを腰のベルトにかけながら、安心して一緒に食事などできません。パンを共に裂くとき、それが物質的なものであれ、精神的なものであれ、私たちは武器をドアのところにおき、無防備と信頼の場所に入ります。
 聖餐の美しさはまさに、無防備の神が無防備の人々を、平和な食事に共にあずかるよう招かれる所にあります。パンを裂き、互いに与えるとき、恐れは消え去り、神はたいへん近くなります。   

10月4日 私たちの食物であり飲み物であるイエス
 イエスは神のことばであり、天から下り、聖霊によって処女マリヤより生まれ、人となりました。それは、歴史のある時点に、ある場所で起こりました。しかし、聖餐を祝う時はいつでも、イエスは天から下り、パンとぶどう酒を取り、聖霊の力により、私たちの食物、飲み物となります。実際、聖餐を通して、いつでもどこでも神の受肉が起こります。
 ときには、「その当時、イエスや弟子たちと共にいれたらなあ」と考えることがあるでしょう。しかし、当時より今のほうが、イエスはご自分の友の近くにおられます。今日、イエスは私たちの日々の糧なのですから。   

10月5日 魂の同伴者
 エマオにある二人の弟子の家で、パンを裂いたのはイエスだと気づいたとき、イエスは「彼らには見えなくなった」(ルカ24:31)。イエスに気づくのと、見えなくなるのは、一つの、同じ出来事です。なぜでしょう?それは、弟子たちが、主イエス、キリストは、今や自分たちのうちにおられる、自分たちがキリストを運ぶ者(Christ-bearers)になったと気づいたからです。ですから、イエスはもはや、彼らが話しかけたり、良い助言を得たりすることのできる、見知らぬ人、客人、友人として、テーブルの向こうに座ってはいません。イエスは彼らと一つになられたのです。イエスはご自身の愛の霊を与えました。彼らの旅の同伴者は、彼らの魂の同伴者となりました。彼らは生きていますが、それは彼らではなく、うちにおられるキリストです(ガラテヤ2:20参照)    

10月6日 私たちと共に生きているイエス
 聖餐のテーブルにつき、「これはキリストの体と血です」と言いながら、同じパンを食べ、同じ杯から飲むとき、私たちは、そのとき、その場で、生きているキリストになります。
 イエスへの信仰とは、神の子イエスが、その昔、この世に現れ、不思議な奇跡を行い、賢い教えを説き、私たちのために十字架上で死に、墓からよみがえったということを、ただ信じるものではありません。その信仰は、何よりもまず、イエスが私たちのうちに生きていて、私たちのうちにあって、私たちを通して、神の働きを成就されるのを信じるというものです。私たちのうちにキリストが生きているという霊的知識を持てば、受肉、死、復活の神秘が歴史的事実であると断言できます。歴史上のキリストを啓示されるのは、私たちのうちにいるキリストなのです。   

10月7日 私たちの間に生きておられるイエス
 聖餐は、それによりイエスが私たちの内に生きるキリストになられるだけでなく、私たちの間に生きるキリストになられるので、イエスが私たちに最も身近になる場です。イエスがパンを裂かれたとき目が開かれたエマオのあの弟子たちが、新たな親近感を見いだし、友人たちのもとの返る勇気を見いだしたように、イエスの体と血を受けた私たちも、新しい一致を見いだすことでしょう。自分たちの内にキリストが生きておられることに気づくと、キリストは、私たちの間にも生きておられ、この世で、キリストの臨在を共に証しする、キリストの体を形成されることにも気づきます。

 

木
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ヘンリ・ナウエン(Henri Jozef Machiel Nouwen)

1932年1月24日 - 1996年9月21日

オランダ出身のカトリック司祭であり、元ハーバード大学教授スピリチュアリティに関する著作を数多く残した著作家、研究者としても著名である。日本語にも多くの翻訳がある。

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