今週のことば
毎週に一度、一日一章ずつ解説をお届けいたします。
2列王記 1章
「あなたがたがエクロンの神、バアル・ゼブブに伺いを立てに行くのは、イスラエルに神がいないためか。」
(2列王記 1:3、6,16)
アハブが死んで、その子アハズヤが王になりました。彼は父アハブの道、母イゼベルの道、そしてネバテの子ヤロブアムの道に歩みました。偶像を拝み、主の前に悪を行ったのです。彼が王位に着くとすぐモアブがそむきました。彼自身は屋上の部屋の欄干から落ちて病気になりました。病の不安の中で、彼はエクロンの神、バアル・ゼブブに伺いを立てる使者たちを遣わしました。そのとき、主は、主の使いをエリヤに遣わし、アハズヤの使者たちに、「あなたがたがエクロンの神、バアル・ゼブブに伺いを立てに行くのは、イスラエルに神がいないためか。それゆえ、主はこ言われる。あなたは上ったその寝台から降りることはない。あなたは必ず死ぬ」と告げよ、と言われました。アハズヤは帰ってきた使者たちの報告から、それがエリヤだと悟り、50人隊を送って、エリヤを呼び寄せようとしました。50人隊長は、神の人よ、と呼びかけながら、王の権威によってエリヤに出頭を命じました。天からの火が彼らを焼き尽くしました。それが答えでした。同じことが2度繰り返され、3人目の50人隊長は、エリヤの前にへりくだり、憐れみを求め、アハズヤのところに来てくれるように懇願しました。エリヤは出かけ、アハズヤに主のメッセージを語りました。そのことばどおりアハズヤは死にました。偶像に頼るのではなく主に立ち返るように働きかけつづけてくださる主の熱い思いが迫ってくるのを感じます。今も主は、私たちに、そう語りかけておられるのです。
2列王記 2章
「エリヤの霊がエリシャの上にとどまっている。」
(2列王記 2:15)
エリヤは生涯の最後の時をエリシャとともに過ごして、彼を自分の後継者にと願い、エリシャもエリヤとともに歩んで、主のみことばを語り伝える預言者のつとめに大きな意味を悟ったようです。エリヤは自分の死が近いことを悟り、エリシャもそのことを感じ取りました。エリヤはギルガル、べテル、エリコ、ヨルダンと、あちこちの預言者たちを訪ねて回り、エリシャはエリヤを離れず、彼について回りました。エリヤは、最後に、何を望むか、とエリシャに問いました。エリシャは、あなたの二つの霊をと言いました。イスラエルでは後継ぎが2倍の分け前をもらうことになっていたのです(申21:17)。エリヤは、お前は難しいことを求める、と言いました。エリヤもエリシャが後継者になることを願っていましたが、実際にそうなるかどうかは主がお決めになることだ、と知っていたからでしょう。それで、自分が取り去られるときエリシャがエリヤを見届けることができたらそうなるだろう、と答えました。その後、エリヤは、火の戦車と火の馬とともに、竜巻に乗って、天に引き上げられました。エリシャはそれを見ました。彼は、エリヤの残していった外套で水を打ち、ヨルダンの水を分けてヨルダンを渡って帰ってきました。それを見ていたエリコの預言者たちは、エリシャがエリヤの後継者とされたことを確認しました。主は、エリシャに悪い水をきよめ、彼を侮る若者たちを打って主の預言者の権威を示し、主の預言者としての働きを始めさせられました。私たちは私たちの指導者の何を見ているだろうか、と問われます。
2列王記 3章
「もし私がユダの王ヨシャパテの顔を立てるのでなければ、・・・。」
(2列王記 3:14)
アハブが死んだとき、それまでイスラエルに服していたモアブが背きました。新しくイスラエルの王になったヨラムは、モアブを打とうとし、ユダの王ヨシャパテに助けを求めました。ヨシャパテはその求めに応じました。ヨシャパテに服していたエドムの王も加わりました。ところが、道が遠く、大軍だったので、水がなくなり、困難に陥りました。ヨラムは「ああ、主がこの3人の王を「呼び集めたのは、モアブの手に渡すためだったのだ」と言いました。情況だけに目を留めたヨラムは、困難に遭うと、否定的な考えに囚われ、落ち込んだのです。しかし信仰の人ヨシャパテは主のみこころを求めました。そしてエリシャに出会い、砂漠に水が溢れモアブに勝つことができる、と告げられます。そのとき、エリシャは、ユダの王ヨシャパテの顔を立てるがゆえに答えるのだ、と言いました。イスラエルの王ヨラムには見向きもしませんでした。すべてはエリシャの告げたとおりになって、次の日の朝、水が流れてきて、連合軍は攻めかかってきたモアブを打ち破り、モアブの各地に大きな打撃を与えました。しかし、モアブの王が王の子をいけにえとしたとき、イスラエルは大きな怒りを感じ、イスラエルのモアブ討伐軍は引き上げました。ヨシャパテのように本当に主を信じる人は、その人がいるからということで周囲の人々も祝福にあづかります。主は、国中が罪にまみれても、主を崇め、真実を求めて生きる者がひとりいたら、その町を赦す、と言ってくださるのです(エレミヤ5:1)。私たちは罪人ですがイエスさまのゆえに主に受け入れていただけるのです。感謝です。
2列王記 4章
「この人たちに与えて食べさせなさい。主はこう仰せられる。『彼らは食べて残すだろう。』」
(2列王記 4:43)
この章では、ある預言者が亡くなり、その遺族が貧しくなって、子どもたちが奴隷にされそうになったとき、エリシャが、彼らに残された一壷の油を増やして、彼らを救ったこと、シュネムの女がエリシャに親切を尽くしてくれるので、エリシャが主に願って彼女に子どもが与えられたこと、その子が死んだとき、エリシャが祈ると、その子が生き返ったこと、飢饉が襲ってきて、エリシャが、弟子たちに煮物を作らせたとき、彼らが集めてきた野生のつる草に毒があったとわかったが、エリシャが麦粉を投げ入れさせると、毒が消えたこと、そして、エリシャのところに大麦のパン20個と一袋の新穀が届けられたとき、それだけでは皆に足りない、という人々に、エリシャが、この人たちに与えて食べさせよ、彼らは食べて残す、と主は言われる、と言ったがそのとおりになったこと、の四つ、あるいは五つの奇跡が語られています。すべて、主は、主を恐れ主に仕える人たちを大事にし、困難が襲ってきても、奇跡を起こしてでも彼らを守り養ってくださることを示しています。主は、主を恐れる者を見捨てられることはないのです。イエスさまも、みことばを聞きに来て腹をすかせた五千人を五つのパンと二匹の魚で養われました(ヨハネ6:1-14)。私たちは、困った状況に陥ると、恐れと不安に取り付かれますが、主は私たちの生活のことも配慮してくださっているのです。目に見える状況に振り回されず、主を信頼しみことばに聞き従うことが肝要だ、と示されます。
2列王記 5章
「私は今、イスラエルのほか、全世界のどこにも神はおられないことを知りました。」
(2列王記 5:15)
アラムの将軍ナアマンは、主君に重んじられ尊敬されていました。しかし、不治の皮膚病ツアラアトに冒されからだがただれていました。イスラエルから連れてこられた奴隷の少女が、イスラエルの預言者のところへ行けば癒される、と言うのを聞き、ナアマンはアラムの王の許しを得てイスラエル王を訪ねました。アラムの王はナアマンのためにイスラエルの王に依頼状を書いてくれました。イスラエルの王は、アラムは難癖をつけるためにこんなことを言ってきた、と言って衣を引き裂きました。預言者エリシャは、王に、ナアマンを自分のところに回しなさい、イスラエルに主の預言者がいることがわかるだろう、と伝えさせました。エリシャを訪ねたナアマンは、エリシャが恭しく呪文を唱えて癒してくれるのだろうと思っていましたが、エリシャは、ヨルダン川に7度、身を浸せ、とだけ伝えさせました。ナアマンは怒りました。彼には神と預言者についての先入観があったのです。エリシャは、そういう人間の思い込みを打ち壊して、ただ主に従う姿勢を育てたかったのでしょう。ナアマンが家来になだめられてエリシャのことばに従ったとき、彼の皮膚病が癒されました。そのとき、彼は、「私は今、イスラエルのほか、全世界のどこにも神はおられないことを知りました」と言いました。ナアマンがこの病にかかったのは、主が、イスラエルの神、主こそ神であることを知らせるためだったのです。ですから、その主の偉大さと恵みを曇らせたゲハジはさばかれたのです。
2列王記 6章
「恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから。」
(2列王記 6:16)
エリシャの預言者学校が手狭になって、建て増しのため、若い者たちがヨルダン川へ木を切り出しに出かけました。その中の一人が借り物の斧の頭を川に落としましたが、彼の叫びを聞いて、エリシャは一本の枝を投げ込み、斧の頭を浮かび上がらせました。どんなに小さいことでも、叫び求めると、主は聞いてくださる、と示されます。アラムの王は、密かにイスラエルを打つ作戦を立てましたがことごとく失敗しました。王が密かに立てる計画をエリシャが察知してイスラエルの王に伝えるからだと知って、エリシャを捕えるために大軍を送りました。エリシャの召使いは、目を覚まして町が囲まれていると知り、慌てました。しかしエリシャは落ち着いて「恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多い」と言いました。そして、召使いの目を開いてくださるように、主に祈りました。主が彼の目を開かれ、召使いは、火の馬と戦車がエリシャを取り巻いて山に満ちているのを見ました。召使いは、目に見える情況を見て慌てましたが、エリシャは主の目をもって事態を見ていたのです。このことを覚え、「主よ、私の目を開き、目に見える世界でなく、あなたと、あなたの御支配とを見せてください」と祈りました。エリシャは、主によって、アラム軍の目をくらまし、サマリヤに案内し、十分に接待して、帰らせました。彼らがサマリヤに侵入してくることはなくなりました。愛をもって力に勝ったのです。後半の記事については、次章で学びます。
2列王記 7章
「王が神の人のところに下って行ったときに、神の人が告げたことばのとおりであった。」
(2列王記7:17)
アラムの軍勢がサマリャを包囲し、マリヤは食べるものがなくなって、自分の子を食べるような悲惨な状態に追い込まれました。イスラエルの王は、神の人エリシャのせいだと言って、彼を殺そうとしました。神のさばきを知って悔い改めるのでなく、かえって激しく反発する人もいるのです。すなおに罪を認めすぐに悔い改めるやわらかい心を与えてくださるよう、主に祈り求めました。エリシャは、自分を殺しに来たイスラエルの王の使いに、大量の食料がとんでもない安値で買えるようになる、と言いました。それを聞いた王の侍従は、そんな馬鹿なことがあるものか、と嘲りました。しかし、そのとき、事態は大きく変わっていたのです。ツアラアトで隔離され、町の門のところにたむろしていた4人の病人が、そこに留まっていれば餓死するだけだが、降伏すれば生き延びられるかも知れない、と思って、包囲軍の陣営に行ってみたのです。すると、そこは衣服や金銀が山のように投げ捨てられた無人の野でした。包囲軍は、大軍の近づく音を聞いたように思い、イスラエルの援軍が来たと勘違いして、大慌てで逃げ出した後だったのです。包囲軍の残した食料がサマリヤの門の広場で、大量に、安値で売られました。それまで飢えに苦しんでいた人々はサマリャの門に殺到しました。町の門の管理を命じられた王の侍従は、群衆に踏みつけられて、死にました。エリシャが彼に語ったとおりになりました。神のことばは侮ることのできない、恐るべきおことばなのです。
2列王記 8章
「彼はアハブの家の者がしたように、イスラエルの王たちの道に歩んだ。アハブの娘が彼の妻だったからである。」
(2列王記 8:18)
エリシャは、先にその子を生き返らせたシュネムの女(4:3以下)のことをいつも気にかけていて、その地に飢饉が来ることを知ると、彼女に他の所へ行くように勧めました。彼女はそのことばに従ってぺリシテ人のところに難を避け、帰ってきたのは、ちょうどエリシャに仕える若者ゲハジが彼女のことを王に話しているところでした。王は彼女の財産をすべて彼女に返してやるように命じました。主は、主の民のことを気にかけてくださるのです。その後エリシャはダマスコを訪ねましたが、アラムの王ベン・ハダドが自分の病気が治るかどうかを聞くために、家臣のハザエルを遣わしてきました。エリシャは、ハザエルに、王には直ると言え、しかし彼は死に、ハザエルがアラムの王になる、と告げました。ハザエルは、帰って、ベン・ハダドを殺してアラムの王になりました。主は以前、エリヤに、エリシャを彼の後継者に、ハザエルをアラムの王に、エフーをイスラエルの王にせよ、と命じられましたが(1列王19:15~16)、ここで、エリヤの後継者になったエリシャが、ハザエルがアラムの王になると告げ、それが実現したのです。主のみことばは必ずそのとおりになります。その頃、ユダではヨシャパテの子ヨラムが王となりましたが、彼はアハブの娘を妻に迎え、その子のアハズヤはアハブ家の婿になって、イスラエルの王たちの道を歩みました。それは、アハブ家に対するさばきに巻き込まれる滅びの道でした。どんな人とくびきを共にするかが問題です。
2列王記 9章
「これは、主がそのしもべテイシュベ人エリヤによって語られたことばのとおりだ。」
(2列王記 9:36)
少し前に、エリヤは、神の山ホレブで、エリシャをエリヤの後継者に、ハザエルをアラムの王に、エフーをイスラエルの王にせよ、との主のおことばを聞きました(1列王19:15,16)。エリヤはエリシャを彼の後継者にしました。前章で、エリシャがハザエルに、あなたはアラムの王になると告げ、そのとおりになったことを学びました。この章では、エリシャが弟子の預言者に命じてエフーをイスラエルの王とするという主のみことばを告げさせたことが記されています。このことを聞いたエフーの仲間の隊長たちは彼を支持し、エフーはヨラムにたいして謀反を起こしました。イスラエル軍のなかにアハブ王朝にたいする不満が行き渡っていたことがわかります。エフーは軍をひきいて王宮に向かいました。ヨラム王とヨラムの病気見舞いに来ていたユダの王アハズヤは、何事かと思って一緒に出かけ、昔、ヨラムの父アハブと母イゼベルがナボテを殺して奪い取ったナボテのぶどう畑でエフーと出会いました。そこでエフーはヨラムを殺し、エリヤが、ナボテを殺して彼のぶどう畑を奪ったアハブに主の報復を告げたみことばが実現しました。アハブの娘を妻にしていたアハズヤも別の所で殺されました。イゼベルに対しても同じ主の報いがありました。すべて主が語られたとおりでした(1列王21:21~23)。主のみことばは必ずそのとおりになります。恐ろしいことです。しかし主が私たちに約束された救いのお約束もそのとおりになるのです。感謝です。
2列王記 10章
「主がエリヤにお告げになったことばのとおりであった。」
(2列王記 10:17)
エフーは、アハブ王朝への謀反がアハブの罪を責め彼の家の滅亡を預言したエリヤのことばどおりになっていくのを見て(9:26,36,37)、アハブの家を滅ぼすことが自分の使命だと受け取ったようです。しかし、そのやり方については、主のみこころをうかがわず、自分の考えで事を進めました。サマリヤにいたアハブの家臣たちに、アハブの子を立てて自分と戦えと脅し、彼に従うという返事を聞くと、アハブの子どもたちの首をイズレエルのエフーのところに持ってくるように命令し、彼らの首を門の傍らに積み上げさせるという残忍さを示しました。彼はそれからサマリヤに向かいましたが、途中で出会ったユダの王アハズヤの身内の者を皆殺しにし、アハブとイゼベルが崇めていたバアルに従う者を皆殺しにしました。自分もバアルを拝むからと欺いて彼らを呼び集め、自分の近衛兵と侍従たちに命じて一人残らず撃ち殺し、バアルの宮を徹底的に破壊しました。主は、エフーの、主を思う熱心さ、を誉め、彼の家は4代にわたってイスラエルの王座に着く、と言われましたが、「しかしエフーは、心を尽くしてイスラエルの神、主の律法に歩もうと心がけることをせず、イスラエルに罪を犯させたヤロブアムの罪から離れなかった」と聖書記者に記録させられました。「ダビデのように主の前に全く歩んだ」とは言われませんでした。しかし、そのようなエフーの行動をとおしてでも、主のみことばは実現したのです。主のみことばは確かです。しかし、主のみこころを求めるとき、一つ一つの行動にも主お導きを求めたい、と思いました。
2列王記 11章
「彼はうばとともに、主の宮に六年間、身を隠していた。その間、アタルヤが国を治めていた。」
(2列王記 11:3)
エリヤによる、アハブ家にたいする主のさばきの預言が実現し、エフーの反乱で、アハブ一族が皆殺しにされたとき、ユダの王アハズヤもいっしょに殺されました。アハズヤはアハブの娘アタルヤを妻としたユダの王ヨラムの子で、アハブ家の婿だったからです。アハズヤが死んだと聞いたアタルヤは、王の一族を皆殺しにして、自分がユダの王となりました。しかし、ヨラム王の娘でアハズヤの姉妹、そして祭司エホヤダの妻になっていたエホシェバが(2歴代誌22:11)、アハズヤの幼子ヨアシュを盗み出し、主の宮の小部屋に隠しました。ヨアシュは主の宮で、6年間、人目につかず隠れて過ごしました。外の世界は偶像礼拝者アタルヤが支配していましたが、人知れず宮の小部屋でダビデの子孫が守られていました。主は、ダビデの子孫が永く王座に着くことを約束しておられました(2サムエル7:16)。主の御約束は、本当の意味では、イエスさまの永遠の主権を示すものです。しかし、イエスさまにいたるダビデの血筋はここでも守られました。それから7年経って、祭司エホヤダは近衛兵の百人隊長たちを呼び寄せ、慎重な準備の下に、ヨアシュを王座につけました。民は喜び、ラッパを吹き鳴らして、祝いました。その騒ぎを聞きつけたアタルヤは、「謀反だ。謀反だ」とわめき叫びましたが、王宮で殺されました。民は喜び、国は平穏でした。ダビデの子孫は守られたのです。主の御守りは万全です。「私は主を信頼します」と告白し賛美しました。
2列王記 12章
「ヨアシュは、祭司エホヤダが彼を教えた間、いつも主の目にかなうことを行った。」
(2列王記 12:2)
ユダの王アハズヤが死んだとき、彼の子ヨアシュはまだ1才でしたが、叔母エホシェバに助けられ、主の宮で6年間、祭司エホヤダにかくまわれて育ち、7才のとき、祭司エホヤダに助けられてユダの王座に着きました。エホヤダは信仰あつい人物で、幼い王に主を恐れ主に従うことを教えました。ヨアシュはエホヤダの教えに従いましたが、それは彼の心からの信仰によるのではなく、うわべの形を真似るだけの敬虔さだったようです。ヨアシュは、アタルヤ統治の間、主の宮が放置され、痛んだままになっているのを見て、その修復を思い立ち、民の自発的な献金を集めることにしました。しかし、その管理を担当する祭司たちが思うように動かないのを見て、祭司を通さず、民の献金を直接、工事の人たちに渡して、宮の修復に当たらせることにしました。彼は主の宮の修理には熱心でした。ところが、アラムの王ハザエルがエルサレムに迫ってきたときは、代々の王たちが主の宮に納めていた財宝を勝手に持ち出して、それをハザエルに差し出し、彼にエルサレムから引き上げてもらいました。彼の言動には一貫性が欠けてました。そういう生き方が国民の不信を買ったのでしょう、家臣たちの子に殺されました。彼はエホヤダの教えを表面的に受け取るだけで、自分の本心から主を恐れ主を愛するようにはなっていなかった、と言えるでしょう。「借り物の信仰でなく、私自身が主を信じ、主に従うことを喜べるようにしてください。御霊さま」と祈ります。
2列王記 13章
「主は、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約のゆえに、彼らを恵み、あわれみ、顧みて、彼らを滅ぼし尽くすことは望まず、・・・。」
(2列王記 13:23)
アハブ家を滅ぼしてイスラエルの王となったエフーは強い軍人でしたが、彼の後をついだエホアハズは弱い王でした。彼は、主を崇める信仰も弱く、ヤロブアムに従って偶像礼拝をやめませんでした。また政治、軍事の指導力も弱かったようです。アラムの侵入を防ぐことができず、国力は衰え、ごく僅かの兵力しか維持できませんでした。しかし、彼が苦しみの中で主に祈ったとき、主は、彼の願いを聞き、イスラエルを敵の手から救い出されました。主は不実なエホアハズの祈りにも耳を傾けてくださったのです。主はご自身の民イスラエルが苦しむのを見るに忍びない御方だったのです。また、イスラエルの先祖、アブラハム、イサク、ヤコブの契約を覚え、そのお約束を大事にされる御方でした。この主が私たちの神、主なのです。感謝です。私もこの御方を信頼しようとあらためて決心しました。エホアハズの子ヨアシュも偶像崇拝の道を歩みましたが、主は、彼をも顧み、預言者エリシャを通して、彼にアラムへの勝利を知らされました。主の勝利の矢をもって地を打つように命じられたのです。ヨアシュはエリシャの指示に従いましたが、3度、地を打っただけでやめました。エリシャは、5度も6度も撃つべきだったのに、と彼をなじり、彼がアラムに勝利するのは3度だけだと言いました。主に命じたれたことには中途半端ではなく徹底的に従うべきなのです。私も、主に従うことが中途半端に終わり易いことを示され、力の限り主に従おうと決心しなおします。
2列王記 14章
「それは、イスラエルの神、主が、そのしもべ、ガテ・ヘフェル出身の預言者、アミタイの子ヨナを通して語られたことばのとおりであった。」
(2列王記 14:25)
ユダの王ヨアシュの後を継いだアマツについて、聖書記者は、「彼は主の目にかなうことを行った。ただし、彼の父祖、ダビデのようではなく、すべて父ヨアシュが行ったとおりを行った」と記しています。宗教的な形は守ったが心から喜んで主のみこころを求めたのではなかった、ということでしょう。父ヨアシュを殺した反逆者を罰したときも、律法にしたがって、反逆者だけを罰してその子には手を加えませんでしたが、民の偶像崇拝は放任しました。彼は、力をつけると、エドムを打ち勝利を得ましたが、それがもとで高慢になり、隣りの大国イスラエルとの縁組を求めて断られ、怒ってイスラエルに戦いを挑み、イスラエル王に、高ぶらないで控えておれとたしなめられましたが、戦いを強行し、大敗を喫しました。彼は失意のうちに、不満をくすぶらせたまま長生きしましたが、家臣たちちに殺されました。形だけの中途半端な信仰でなく、心から主を信頼し主を愛する信仰を与えてください、と祈りました。アマツヤを打ち破ったイスラエルの王ヨアシュは間もなく死に、その子ヤロブアムが王座に着き、彼の下でイスラエルは繁栄を回復しました。ヨナの預言どおりでした。いろいろな王が入れかわり立ちかわり出ましたが、この箇所から、イスラエルとユダの歩みを支配していたのは不完全な王たちではなく、憐れみに満ちた主であり、そのことを主は私たちに知らせようとしておられるのだ、と示されます。
2列王記 15章
「彼は先祖たちがしたように、主の目に悪であることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪から離れなかった。」
(2列王記 15:9)
イスラエルでは、エフー王朝4代目のゼカリヤをシャルムが殺して王になり、僅か一ヶ月でメナヘムに王位を奪われました。メナヘムはアッシリヤに貢を納め、10年間、王位を守りましたが、その子ペカフヤは2年目にペカに殺されました。ペカはアッシリヤに圧迫されながらも王位を維持しましたが、ホセアに殺され、ホセアが王になりました。このホセアがイスラエル最後の王になります。この時期のイスラエルは謀反と王の交代が繰り返される非常に不安定な情況にありました。その根本原因は、イスラエル代々の王が、「主の目に悪であることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪から離れなかった」ところにありました。ネバテの子ヤロブアムの罪とは、イスラエルがイスラエルとユダに分裂したとき、イスラエルの王になったネバテの子ヤロブアムが、主の宮はユダのエルサレムにあるので、イスラエルの人々がユダに向かうのではないかと恐れて、自分で金の像を作り、それを拝ませ、自分勝手に祭司を立てた罪でした(1列王12:26~33)。主を恐れ主に従うのでなく自分のために主を利用する罪、自分を主とする罪でした。そういう自己中心の生き方は、お互いの間に不信感を行きわたらせ、国を乱します。主を第一にすることこそ主が喜ばれる歩みであり、主を恐れることが私たちの歩みを確かなものとするのです。一方ユダでは、父の歩みに従うやり方ではありましたが、主を恐れる王が続いていました。主の憐れみと言う他ありません。
2列王記 16章
「彼はその父祖ダビデとは違って、彼の神、主の目にかなうことを行わず、イスラエルの王たちの道に歩み、・・・。」
(2列王記 16:2,3)
イスラエルではヤロブアムの道に従う王が続き、国が乱れ、滅亡の危機が目前に迫っていましたが、ユダでは、アマツヤ、アザルヤ、ヨタムと、主を恐れる王たちが続きました。しかし、彼らは皆、父の信仰にならって主を恐れたのであって、父祖ダビデのように自分自身が心から主を信じ主を愛したのではありませんでした。親の信仰にならってその形を真似たのです。親のまねをした形式的信仰が主体的信仰に変えられるのは危機に直面するときです。病気や挫折などの危機を通して、親が信仰の模範を見せてくれたことを感謝しながら、「でも今は、私自身が主を信じ、主を愛しています」と告白するようになっているクリスチャンホーム育ちの人が多くいます。恵みです。ユダの王アハズがアラムとイスラエルの連合軍に攻め込まれた危機は、彼が自分自身で主を信じるようになるための、主が備えてくださったチャンスでした。しかし、彼はそのとき、主に叫ばず、自分の知恵を働かせて、アラムとイスラエルの背後にあった大国、アッシリヤに多くの賄賂を贈って、敵を攻めてもらうようにしました。それは人間的に見れば成功し、アラムは滅ぼされ、イスラエルの王はクーデターで倒されました。アハズはアッシリヤ王に感謝するためにダマスコまで出向き、そこの祭壇を見て、それと同じものを作らせ、それを用いました。彼の偶像礼拝はますます激しくなりました。「私が問題に出会うとき、主に向かい主を信じるように導いてください」と祈りました。
2列王記 17章
「こうなったのは、イスラエルの人々が、・・・自分たちの神、主に対して罪を犯し、ほかの神々を恐れ、・・・たからである。」
(2列王記 17:7,8)
イスラエルの王ホセアは表ではアッシリアに降伏してアッシリアに仕えましたが、裏ではアッシリヤに背きエジプトと手を結びました。それでアッシリア王はイスラエルを滅ぼし、イスラエルの民をアッシリアの地に移し、アッシリアや他の地域の人々をイスラエルに連れてきて、そこに住ませました。イスラエルが滅びたのは、直接はホセアの背信によることでしたが、その真の原因は、イスラエルが彼らをエジプトから連れ出し、カナンの地を与えてくださった主を捨て、ほかの神々に心を寄せるようになり、主を知らず自分勝手な欲望に従って歩むその地の人々の生き方に習い、不真実で不道徳な生き方をするようになった、というところにありました。主に対する背信が国際関係における背信になって現れたのです。主は、主だけを崇める真実な生き方を求められるのです。そして、主は、主こそ主であることをいろいろなやり方で示されます。イスラエルの地に移り住んできた人たちにも、ライオンの害を通して、主をあがめることの大切さを示されました。彼らは、イスラエルの主を拝もうとしました。しかし、彼らは同時に自分たちの偶像をも拝みつづけました。こういう生き方は主に喜ばれません。神さまと私たちの関係は人格関係なのです。人格関係は相手だけに集中するところで育ちます。彼らの生き方は、結婚したのに他の異性との関わりを続けるような不真実な生き方です。そういう夫婦関係は壊れます。同じように主に対する不真実も滅びを招くのです。
2列王記 18章
「いったい、お前は何に拠り頼んでいるのか。」
(2列王記 18:19)
北のイスラエルはホセアの第9年にアッシリヤによって滅ぼされましたが、その頃、南のユダではヒゼキヤが王になりました。彼は、偶像に心を寄せたアハズの子でしたが、父とは違って、主を信頼し、主がモーセに命じられた命令を守りました。偶像を取り除き、モーセが作った青銅の蛇さえ、それを拝む人がいたので、打ち砕きました。ヒゼキヤは、「すべて父祖ダビデが行ったとおりに、主の目にかなうことを行った」と記されているように、心から主を恐れ、主のみこころを知って、主に従う王でした。そんなヒゼキヤを主は喜ばれました。ヒゼキヤは国を良く治め、周りの国々との戦いでいつも勝利しました。主が彼とともにおられたからでした。信仰に堅く立つとき、その人の歩みは確かな歩みとなり、成功します。しかし大きな試練に直面することはあります。ヒゼキヤが王になって14年目、当時の世界最大の大国アッシリヤが攻め込んできました。ヒゼキヤは貢物を送って引き揚げてもらおうとしましたが、アッシリヤはエルサレムに攻め寄せ、全面的な降伏を求めてきました。そのとき、アッシリヤ王の使者は、いったい、お前は何に拠り頼んでいるのか、われわれの神、主に拠り頼むというのか、国々の神々の中で、アッシリヤ王の手から自分の民を救うことのできた神はいるのか、と挑みかかりました。主の民は、主こそ信頼できる真の神であることを知るために、このような困難の中で主を信頼することを学ばなければならなかったのです。「お前は何に拠り頼んでいるのか。」私も同じことを問われている、と受け止めました。
2列王記 19章
「あなたがアッシリヤの王センナケリブについて、わたしに祈ったことを、わたしは聞いた。」
(2列王記 19:20)
アッシリヤ王は、重臣ラブ・シャケを遣わして、ヒゼキヤとユダの民に、神もアッシリヤの手からユダを救うことはできない、降伏せよ、と言ってきました。それを聞いたヒゼキヤは、主の宮に上り、イザヤに祈りの助けを求めました。主は、イザヤを通して、アッシリヤを恐れるな、彼らはうわさを聞いて引き上げる、と言われました。アッシリヤ王は、クシュの王が出てきたと聞いて軍を移動させましたが、そのとき、再びヒゼキヤに使者を遣わし、お前の神にだまされるな、アッシリヤは国々の神々を滅ぼした、アッシリヤの手から自分の民を救うことのできる神などいない、と記した手紙を送ってきました。ヒゼキヤは、使者の手からその手紙を受け取り、それを読み、主の宮に上って行って、それを主の前に広げました。そして祈りました。アッシリヤの王がすべての国々を滅ぼしその神々を絶滅したことが事実であることを認めながら、偶像は人の手による空しいものだからだ、と告白し、アッシリヤからの救いを願い、あなたこそ生ける主であることを示してください、と祈りました。そのヒゼキヤの祈りに、主はイザヤを通してお答えになりました。わたしはヒゼキヤの祈りを聞いた、アッシリヤの王は鼻輪をかけられて、もと来た道に引き戻される、と言われました。そのとおり、アッシリア軍は一夜のうちに18万5千人を失い、帰国したアッシリヤ王は国で殺されました。私も、困難に出会ったときは、ヒゼキヤのように、主のみ前に出て祈ろう、と決心しました。
2列王記 20章
「わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た。見よ、わたしはあなたを癒す。あなたは三日目に主の宮に上る。」
(2列王記 20:5)
ユダがアッシリヤに圧迫されていたとき、ユダの王ヒゼキヤはあつい病にかかり回復の見込みがなくなりました。ヒゼキヤが子がないままで死んで後継者争いで国が乱れるとユダは滅びます。預言者イザヤはヒゼキヤに、「あなたの家を整理せよ」と言いました。後継者を決めよ、ということでしょう。ヒゼキヤはそれまで主を頼り懸命に国を守ってきたのに、ふさわしい後継者のないまま死ななければならないという悲しみにたえられず、「顔を壁にけ」、涙ながらに主に祈りました。主はヒゼキヤの悲しみをご覧になり、彼の涙も見られました。この主の愛と憐れみは私たちにも注がれています。主はイザヤを通じて、ヒゼキヤに、彼は三日目に癒される、そして彼にもう15年の命を与えると告げ、日時計の蔭が10度もどるという奇跡を見せて、そのみことばを確証されました。みことばどおり、ヒゼキヤは3日目に癒されました。ヒゼキヤの子マナセは12歳でヒゼキヤの後を継ぎましたから(21:1)、彼に与えられた15年は後継者を備えるための期間だったわけです。主は、ヒゼキヤの切なる求めに応えてエルサレムを守られました。しかし、ヒゼキヤは癒されてホッとしたのか、バビロン王の使いが見舞いに来たとき、バビロンと親しくして、その力によってアッシリヤに対抗しようとしたようです。しかし、主はバビロンに頼る虚しさを告げられました。「人手に頼らず、どこまでも主だけを信頼する者でありたい。そうするよう助けてください。御霊さま」と祈りました。
2列王記 21章
「主は、そのしもべである預言者たちによって、次のように告げられた。」
(2列王記 21:10)
ヒゼキヤが死んで彼の後を継いだのはマナセでした。そのとき彼は12歳でした。彼はヒゼキヤが奇跡的に癒され15年の命を与えられてから3年目に生まれたわけです。マナセとは、「すべての労苦を忘れさせた」という意味の名です(創生記41:51)。マナセが生まれたとき、ヒゼキヤはほっとし、マナセを甘やかせたのではないでしょうか。また、バビロン王の使者を迎え、バビロンの力を借りてアッシリヤに対抗しようとし、ひたすら主にすがる信仰の緊張の糸が緩んでいたのではないでしょうか。そのような中で育てられたマナセは王になったとき、不安で仕方がなかったのではないでしょうか。はっきり信じるべき御方としっかり結ばれていないと、人は何にでも頼りたくなるものです。マナセは、ユダ歴代の偶像礼拝を行なったどの王よりも激しい偶像礼拝に走りました。イスラエルの王たちにも、先住民たちにも見られないほどの偶像礼拝に走り、罪のない人たちを殺しました。主は、こんなマナセをごらんになって、預言者たちを送られました。主は激しい口調で、彼と彼の国ユダの滅亡を告げられました。しかし、その激しさのなかに、彼らに対する煮えたぎる愛が感じられないでしょうか。愛するからこそ激しい口調で厳しいさばきを告げ、悔い改めを求められたのではないでしょうか。預言者を一人ではなく、複数の預言者たちを送られたことにも主の愛がうかがわれます。だからこそ、後に彼が悔い改めたとき赦されたのです。どんな罪人でも悔い改めれば救われるのです(2歴代33:13)。
2列王記 22章
「彼は主の目にかなうことを行い、先祖ダビデのすべての道に歩み、右にも左にもそれなかった。」
(2列王記 22:2)
マナセが死に、その子アモンが若くして死んだ後、僅か8歳のヨシヤがユダの王になりました。彼は信仰深い王に育ちました。祖父マナセは偶像礼拝に走った王でしたが、晩年になって悔い改め、主を恐れて歩みましたから(2歴33:12-16)、そのマナセを見て信仰に導かれたのでしょうか。あるいは、母の名が記されていますから、母エデイダに信仰を育てられたのかもしれません。「彼は、主の目にかなうことを行い、先祖ダビデのすべての道に歩み、右にも左にもそれなかった」と記されています。彼は、エルサレムの神殿が荒れているのを見て、その修理に力を注ぎました。書記シャファンを遣わして、宮の献金を宮の修理に当てるように命じ、祭司に修理の工人たちを信頼するように命じました。主を恐れ、また不信感から監督を厳しくすることによってではなく、人を信頼する政治を行ったのです。そういうヨシヤに主は、宮の修理のときに発見された律法の書を聞かせられました。シャファンがその書を読み上げるのを聞いたヨシヤは、衣を裂いて悔い改め、このことについて、主のみこころをうかがわせました。王の求めに対して、女預言者フルダを通し、主は、偶像礼拝に毒されきったエルサレムとその民にわざわいが下ることを告げ、悔い改め、自分たちの罪のために泣いたヨシヤには生きてその災いを見ることはない、と語られました。ヨシヤの悔い改めを引き出し、彼の生きている間、わざわいを差し控えられた主の愛と憐れみが心に迫ります。
2列王記 23章
「それにもかかわらず、・・・。」
(2列王記 23:26)
ヨシヤは、宮で発見された律法の書を聞き女預言者フルダのことばを聞いて、主の前にへりくだり、泣きました。それをご覧になった主は、ユダにたいするさばきを延期されました。その後ヨシヤはユダとエルサレムの長老たちを呼び集め、彼らに主の律法の書を読み聞かせ、彼らはその律法の書に記されている契約のことばを実行すると誓い、ユダ全国から偶像と偶像礼拝の道具、そして偶像に仕える祭司たちを一掃しました。そのとき、昔イスラエルのヤロブアム王が祭壇をつくったとき、ユダから来た神の人が、やがてヨシヤが現れ、その祭壇の上で人骨を焼き、祭壇を汚すと預言したことば(1列王13:2)が実現しました。主のことばは必ず成就するのです。この働きを先導したヨシヤの信仰と誠実さを、聖書記者は、「ヨシヤのようにモーセのすべての律法に従って、心のすべて、たましいのすべて、力のすべてをもって主に立ち返った王は、彼よりも前にはいなかった。彼の後にも、彼のような者は、一人も起こらなかった」と高く評価しましたが、「それにもかかわらず、マナセが引き起こした主のすべての怒りのゆえに、主はユダに向けて燃やした激しい怒りを収めようとはされなかった」と言います。善き業は評価されても罪を贖う力はありません。しかし砕かれた悔いた心を主は顧みられます(22:19、詩篇51:17)。また民の悔い改めは王に従う外面的な形だけの悔い改めで、心からの悔い改めにはなっていなかったようです。「うわべの形だけでなく心の底からの悔い改め与えてください」と祈りました。
2列王記 24章
「その後、ゼデキヤはバビロンの王に反逆した。」
(2列王記 24:20)
ヨシヤがエジプトの王ファラオ・ネコと戦って死んだとき、ユダは、ヨシヤの子、エホアハズを王としましたが、ファラオ・ネコは、彼をエジプトに連れ去り、エホヤキムを王にしました。彼はエジプトに従い、多額の金・銀をエジプトに納めて、独立を許されましたが、王になって3年目にバビロンの王ネブカデネザルが攻め上ってきました。エホヤキムは降伏し、バビロンの支配下で独立を許されましたが、その後、バビロンに反逆しました。すると、ユダ周辺の国々の略奪隊がユダに攻め込んできて、ユダの人々を苦しめました。まもなく、ネブカデネザルのバビロン軍も攻め上ってきました。そのときエホヤキムが死に、エホヤキンが王となりました。彼はバビロン王ネブカデネザルに降伏し、家族や臣下の者たちとともに、バビロンに連れ去られました。しかし、彼らの子孫は70年の後、捕囚を解かれ、エルサレムに帰ります。バビロン王は、エホヤキンを廃し、彼の叔父ゼデキヤを王としましたが、しばらく後にゼデキヤはバビロンに背きました。そしてユダの滅亡の時が来ます。ユダは、時の支配的勢力への屈服と反逆を繰り返し、その不真実が滅びを招きました。それは、根っこのところにある主への不真実に基くものであり、その不真実が主のさばきを招いたのです。主のさばきを受け入れず反逆して自分を守ろうとした者たちが滅びを招き、降伏してさばきに身を委ねた者に主の民の根が残ったことが示されていますが、お前はわたしに対して真実であるか、わたしに身を委ねるか、と問われる主の御声が聞こえる思いがします。
2列王記 25章
「ユダの王エホヤキンが捕らえ移されて三十七年目・・・。」
(2列王記 25:27)
ゼデキヤは、バビロンの王ネブカデネザルによってユダの王とされながら、バビロンに反逆し、バビロンに攻め滅ぼされました。エルサレムが包囲され食べる物もなくなったとき、ユダの軍隊は城外へ逃亡し、王ゼデキヤはエリコの草原でバビロン軍に捕らえられました。彼の軍隊はみな彼から離れて散ってしまいました。彼は、子どもたちが虐殺されるのを見せられ、目をえぐり出されて、バビロンに連れ去れました。エルサレムは破壊され、町中の宝物は奪い去られ、重要人物は殺されたり捕囚として連れ去られ、貧しい農夫だけが残されました。その残りの人たちを治めるためにゲダルヤが総督に任じられ、彼は良く人々を治めましたが、ユダの王族だったイシュマエルが彼を殺しました。こうしてユダは完全に滅びてしまいました。しかし、バビロンに連れ去られたユダの人々は、そこで偶像礼拝の空しさを見、モーセの律法に立ち返り、主を信じる歩みに立ち返りはじめました。その中からエズラやネヘミヤが現われ、新しいユダヤ人が誕生します。そのことをあらかじめ示すような出来事が、エホヤキンがバビロンに連れ去られて37年目に釈放され、バビロンで名誉が回復され出来事でした。エホヤキンはエコニヤとも呼ばれ、彼からサラテルが生まれ、その子がゾロバベルで、イエスさまの父ヨセフに続きます(マタイ1:12)。主は、ダビデの子から救い主を起こすと言われたお約束を忠実に果たされるのです。人は不真実だが、主は御真実だということが明らかにされます。人ではなく、主を信じて歩め、との御声が聞こえます。
1列王記 1章
「祭司ツアドクと預言者ナタンは、そこで彼に油を注いでイスラエルの王とせよ。そうし、て角笛を吹き鳴らし、『ソロモン王。ばんざい。』と叫べ。」
(列王記1 1:34)
ダビデの死期が近づいたとき、ハギテの子アドニヤが、次の王座を狙い、軍の長ヨアブと祭司エブヤタルを抱きこみ、イスラエルの有力者たちを食事に招いて、そこで自分をイスラエルの王として認めさせようとしました。
そのとき、預言者ナタンは、ソロモンの母バテ・シェバに、ダビデ王のもとに行って、あなたは必ずソロモンを後継者になると誓われたのに、なぜ今アドニヤが王となったのですか、と言いなさい。私も行って、あなたのことばを保証します、と言いました。
しかし、預言者ナタンにして、どうして、主のみこころだということを正面に打ち出さず、ダビデのことばを楯にするようなことを助言したのでしょうか。バテ・シェバとナタンのことばを聞いて、ダビデは、バテシェバに、「主は生きておられる。主は私のたましいをあらゆる苦難か贖い出してくださった」と主を仰ぎ、主によってソロモンを王とすると誓い、祭司ツアドクと預言者ナタン、それにベナヤに、ソロモンを王の乗る雌騾馬に乗せて、ギホンに下り、そこで、ソロモンに油を注いで、彼をイスラエルの王にするようにさせ、ダビデ自身がソロモンの王位を認め、ソロモンを王とされた主を礼拝しました。
こうしてアドニヤ党は壊滅し、ソロモンがイスラエルの王となりました。自分の名誉や勢力を求める行動は空しく、主のみこころを求めることの大切さを思います。「私にも主を恐れる心をください」と祈りました。
1列王記 2章
「こうして、王国はソロモンによって確立した。」
(列王記1 2:46)
ダビデは、死期が近いと感じたとき、ソロモンを呼び、遺言を伝えました。
強く、男らしくあれ、とソロモンを励まし、モーセの律法に書かれているとおりに、主の掟と命令と定めとさとしを守って主の道に歩め、とさとしました。
その上で、自分の地位を守るために二人の武将を殺したヨアブと、ダビデを呪ったシムイには、彼らの行った悪に報復し、追われる身であったダビデに好意を示したバルジライには、その子らに恵みを報いるように、と命じました。
国が治まるには正義が行われなければならないと思ったのでしょう。ダビデが死んでしばらくすると、アドニヤが、ソロモンの母バテシェバを介して、ダビデの最後のそばめシュネム人アビシャグを妻に迎えたいと言ってきました。その奥に王位を伺う叛意を察知したソロモンは、ベナヤに命じてアドニヤを殺させまました。
それから、かつてアドニヤを支持した祭司エブヤタルを罷免し、ダビデの軍団長であったヨアブを殺しました。アドニヤを王としようとした反対勢力は一掃されました。
シムイには、エルサレムを出てはならない、出ると死ななければならない、と警告し、3年後、逃亡した奴隷を連れ戻しにガテマデ出かけたシムイを殺しました。こうして、ソロモンの王国は、ソロモンによって確立しました。しかし、主によって、と言われず、ソロモンによって、と言われているところに、危うさが潜んでいます。ダビデの家が永遠に立つといわれた主の預言は(2サムエル7章)、イエスさまが来られるまで待たなければならなかったのです。
1列王記 3章
「善悪を判断してあなたの民をさばくために、聞き分ける心をしもべに与えてください。」
(列王記1 3:9)
ダビデからイスラエル王国を受け継いだソロモンは、知恵を働かせて、反対勢力を一掃し、イスラエル王国を確立しました。彼の知恵は国際関係でも発揮され、大国エジプトから王女を妻に迎え、イスラエルは国際政治の舞台でも大きな役割を果たせる国になりました。その基礎には彼の信仰がありました。彼はギブオンで盛大な礼拝を捧げました。主はお喜びになり、夢のうちにソロモンに現われて、「あなたに何を与えようか」と聞かれました。ソロモンは、主が自分をイスラエルの王とされたが、自分は未熟だから、大勢の主の民を治めるための知恵を与えてください、と願いました。主は、彼が、長寿や名誉や利益ではなく、主からの使命を果たすための知恵を求めたことを喜ばれ、知恵と判断する心とを与える、さらに富も誉れも与えよう、と言われました。ひとりの子を巡って争った二人の女の間をソロモンがさばいた事件は、ソロモンに天来の知恵が与えられていたことの実証でした。ソロモンは主から与えられる使命を大事にしました。しかし、使命の基礎になっている主との交わりを彼はどれほど大事にしたのでしょうか。彼の人生を見ると初めの「主を愛し、父ダビデの掟に歩んでいた」歩みの影がだんだん薄れていったように感じられます。彼には「あなたこそ 私の主。私の幸いは あなたのほかにはありません」(詩篇16:2)というダビデの告白のような、主に対する愛と信頼は見られません。使命も大切ですが主ご自身との親しい交わりはもっと大切です。
1列王記 4章
「ユダとイスラエルは、ソロモンの治世中、ダンからベエル・シェバに至るまでのどこでも、それぞれ自分のぶどうの木の下や、いちじくの木の下で安心して暮らした。」(1列王記4:25)
ソロモンは、主に、主の民を治めるための知恵を求め、主が与えてくださった知恵を用いてイスラエルを治めました。その実がここに示されています。はじめに彼の高官たちの名前が出てきます。祭司と書記と史官の名前がまず挙げられています。
ダビデ時代に比べて、軍事よりも宗教や文化が重要視されているようです。政務長官や宮廷長官、また役務長官が出てきます。ダビデ時代のように、王がひとり重荷を負う体制ではなく、多くの人々が仕事を分担するやり方に変わっていたのです。
王国は12人の守護によって治められました。こうして、ソロモン治下のイスラエルは、平和を楽しみ、豊かな生活を喜ぶことができました。国際的にも平和な外交関係を維持しました。早馬による情報収集と、富と、抑止力としての軍備によって、戦争をしないですむ国際関係ができていたのです。
さらにソロモンはその知恵を働かせ、その評判を聞いた人々が彼の知恵を慕って集まり、文化活動が盛んになりました。主がソロモンに知恵を与えられた実でした。このようにソロモンは知恵を用いて主に仕え国に仕えましたが、ダビデのような主ご自身との親しい交わりはなかったようです。知恵のことばは数多く残しましたが、「あなたこそ、私の主」(詩16:2)と言うダビデの告白のような信仰告白はありません。
私は、地上の支配者に完全を期待せず、新天新地におけるイエスさまを待ち望みます。
1列王記 5章
「今私は、私の神、主の御名のために神殿を建てようと思っています。主が私の父ダビデに、・・・と言われたとおりです。」
(列王記1 5:5)
ソロモンが王位に着くと間もなく、ダビデ時代から友好関係にあったツロの王ヒラムが祝福の使いを送ってきました。それで、ソロモンは、彼に、父ダビデは、宮をたてることを願いながら、回りから戦を挑まれていたので、宮を建てることができなかった、しかし、そのおかげで、今、自分は平和を得ている、だから、主が言われたとおり、主の神殿を建てる、ついてはレバノンの杉材を送ってもらいたい、そのための労働者の賃金は私が払う、と言いました。このソロモンのことばのなかに、主のご計画のうちにそれぞれが果たすべき使命があるという認識と、自分の使命は神殿を建てることだという召しを感じ取っていたことが示されています。主にあって大きなビジョンを見、その中で自分の果たすべき使命を、確信を持って受け止め、それに邁進することができるのは大きな恵みです。私も、そんな人生に導いてください。と祈りました。ソロモンは、主のために最善の神殿を捧げたいと思い、自分の国では得られないレバノンの杉材を求めました。しかし、そのための労働者の費用は自分が負担すると言いました。自分も犠牲を払う覚悟を示したのです。ヒラムは承知し、食料を求めました。ソロモンは大量の食料を毎年、提供しました。神殿の建設のための労働者は大勢でしたが、彼らは、外国での労働と国内での作業に、また作業内容によって、担当を分けられ、監督者によって組織的に作業するように整えられました。これもソロモンの知恵によることでした。
1列王記 6章
「わたしはイスラエルの子らのただ中に住み、わたしの民イスラエルを捨てることをしない。」
(列王記1 6:13)
この章は「イスラエル人がエジプトの地を出てから四百八十年目」という書き出しで始まります。ソロモンの主の宮と王宮の建設が出エジプトの出来事のゴールとなることを示しているようです。そのとき、主はソロモンに、建物のことは何も言われず、主のみことばを守れ、そうすればわたしはイスラエルの中に住む、と言われました。主は、主の民と一緒に住みたいのです。主は、主のみことばを守る者とともに歩まれます。今日も、私たちがみことばを守り、主の聖霊を受け、御霊の導かれるままに生き、主とともに歩む生活を楽しむようになることを、主は願っておられるのです。ソロモンは宮をささげましたが、私たちは主に身をささげます。ソロモンは、即位すると、まず、国内の不満を除き、主を礼拝する姿勢を示し、主から知恵をいただいて、国内の統治体制を確立し、国際関係を整え、ツロのヒラムと交渉して宮建設の資材調達の道をつけ、即位後4年目に、主の宮建設に取り掛かりました。宮の建設に7年、王宮の造営には13年かかりましたから、出エジプトの事業が完成するのは、出エジプトの時から数えて500年後のことになります。私が全く主のものとなるのも、イエスさまによる新天新地の完成にも時間がかかります。しかし、主の約束は必ず実現します。私たちは、信じて救いの完成を待ち望み、聖霊を内にいただき、主とともに歩むことを許され、永遠に主とともに生きる新天新地の生活の前味を味わうことが許されているのです。感謝です。
1列王記 7章
「彼(ヒラム)はナフタリ族のやもめの子であった。彼の父はツロの人で、青銅の細工師であった。」
(列王記1 7:14)
ソロモンは、主の宮を建てるのに7年かかりました。その後、自分の宮殿を建てましたが、13年かかりました。主の宮は全力投球で建てたので7年でできたが、そのために力を出し尽くして、宮殿を建てるときには、資金面でも資材の調達面でも息切れし、多くの時間がかかったということなのか、主の宮よりも自分の宮殿の方により多くの力を注いだのでそうなったのか、どちらとも解釈できますが、本当はどうであったのか、よく分かりません。前者だったら励まされますが、後者だったら、そうならないように警戒しなければならない、と思いました。ソロモンは、主の宮を建てるとき、ツロからヒラムを呼び寄せました。彼はナフタリ族の女がツロの青銅細工師と結婚して生まれた人でした。父からツロの青銅細工の技術を受け継ぎましたが、このときは父は死んでおり、母はやもめ暮らしをしていたと思われます。イスラエル社会では高く評価されない種類の人だったのではないか、と思いますが、こういう人もきよめられて主の宮の道具類を造るという大事な仕事に用いられたのです。私たちも、自分に与えられているものを主に捧げてきよめていただくと、主の尊い御業に用いていただけるのだ、と励まされます。ヒラムは、主の宮のシンボルのような柱とその飾り、海と呼ばれる大きな洗盤、台、洗盤、十能、鉢、などを造りました。さらに、ソロモンは、彼に宮の中の用具を金で作らせました。すべてが整うと、父ダビデが用意していた器具類を宮の宝物倉に納めました。
1列王記 8章
「あなたのしもべとあなたの民イスラエルが、この場所に向かってささげる願いを聞いてください。あなたご自身が、あなたの御住まいの場所、天においてこれを聞いてください。」
(列王記1 8:30)
ソロモンは、主の宮が完成したとき、イスラエル全部族の長老たちを呼び集め、主の契約の箱を宮に運び入れました。契約の箱を運び入れたとき、主の宮に雲が満ち、祭司たちは奉仕することができませんでした。そのとき、ソロモンは、主は私たちの測り知ることのできない闇の中に住まわれる超越者だ、と賛美しました。そして、イスラエルに向かって、イスラエルをここまで導き、ダビデを王とし、ソロモンに宮を建てさせてくださったのは、主なのだ、と語りました。それから主に向かって祈りました。きょう、私は宮を建てましたが、主はそんな宮に閉じ込められるような御方ではありません、私たちをはるかに超えた御方です、それでも、私たちがここでささげる祈りを聞いてください、主がお住まいになる天で聞いてください、罪を犯して悔い改める祈りも、そのための苦しみの中からの叫びも、戦いに出るときの祈りも、戦争に負けて捕虜とされる補囚の地でこの宮に向かって祈る祈りも、あなたのお住まいである天で聞いてください、と祈りました。ソロモンは、私たちは地上で祈りをささげるが主はそれを天で聞いてくださる、と知っていたのです。祈りは天に通じるものなのです。また、たとえ外国人でも、この宮に来て祈るならその祈りをきいてくださいい、と祈っていることは、彼の祈りの広がりを示しています。私たちの祈りの高さ、深さ、広さはどうか、と問われるのを覚えます。
1列王記 9章
「もし、あなたがたとあなたがたの子孫が、わたしに背を向けて離れ、・・・行ってほかの神々に仕え、それを拝むなら、わたしは彼らに与えた地の面からイスラエルを断ち切り、・・・。」
(列王記1 9:6,7)
ソロモンが主の宮と王宮、およびソロモンが造りたいと願っていたすべてのものを完成したとき、主は前にギブオンで現れたときのように、再びソロモンに現れて、 わたしは、あなたの願いを聞いた、あなたが建てた宮を聖別した、あなたが、父ダビデが歩んだように、全き心と正直さをもって歩み、私が命じたことをすべて実行するなら、あなたの王国を確立する、しかし、あなたとあなたの子孫がわたしの命令を守らず、他の神々に仕えるなら、イスラエルを断ち切り、この宮をも投げ捨てる、と言われました。主は、ソロモンが、主を崇め、全力を尽くして主の宮を建てたことを喜ばれ、彼の奉仕をお褒めになり、主を愛し、主のみこころにそって歩むように語りかけられました。そして、主を離れるときは彼らも、宮をも捨てる、と警告されました。主は、主のために何をしたかではなく、主を愛し、主のみこころを行うことを願っておられるのです。ソロモンは、宮と王宮を建てた後も、いろいろなものを建てましたが、建設事業で成功すると、それを続けるしかなくなり無理が生じるのは今も昔も変わらないようです。ソロモンがヒラムにお礼として贈ったガリラヤの町々はヒラムの気にいりませんでしたし、先住民は奴隷とされ、国民もソロモンの事業推進の道具のように組織されたようです。事業よりも、人の生活を大切にする歩みは、主を崇め主を愛するところにあるのだ、と示されます。
1列王記 10章
「シェバの女王は、ソロモンのすべての知恵と、彼が建てた宮殿と、・・・を見て、息も止まるばかりであった。」
(列王記1 10:4,5)
シェバの女王が主の名に関連してソロモンの名声を伝え聞き、ソロモンを訪ねてきました。彼女は女王として立ったとき、どのように国を治めればよいのか、どう考えどう行動すればよいか、いろいろ思い悩み、ソロモンが主から与えられた知恵をもって素晴らしい国を建てていると聞き、直接、聞いて学びたいと思ったのでしょう。彼女の女王としての責任感と向学心にソロモンと共通のものが感じられます(3:7-9)。彼女はソロモンと語りあってその知恵を知り、王宮と王のもてなし、家臣たちの態度などを実際に見て驚嘆し、それが主から来ていることを認めて、「私が国であなたの事績とあなたの知恵について聞き及んでいたことは、本当でした。私は、自分で来て、自分の目で見るまでは、そのことを信じなかったのですが、なんと、私にはその半分も知らされていなかったのです。あなたの知恵と繁栄は、私が聞いていたうわさより、はるかにまさっています」と告白し、主を賛美しました。彼女はソロモンの知恵と彼の成し遂げたこと、そして彼の繁栄を見てこう言ったのですが、彼の信仰と彼の心の向かっていることにどれほど目を向けたでしょうか。ダビデの心は主と一つになっていたと言われていますが、ソロモンはそうではありませんでした(11:4)。大事なのは能力や成果よりも、聖書知識やクリスチャン的行動よりも、主に向かう心です。「主よ。主を知り、主を信じ、主を愛する者にしてください」と祈りました。
1列王記 11章
「彼には、七百人の王妃としての妻と、三百人の側女がいた。その妻たちが彼の心を転じた。」
(列王記1 11:3)
ソロモンは、卓越した外交と行き届いた内政によって、イスラエルを繁栄させ、平和な国際関係を樹立しました。その始まりはパロの娘を妻に迎えたエジプトとの友好関係でした。その成功を見て、ソロモンは、縁戚関係による平和外交を推し進め、いろいろな国の女性を妻として迎えました。その女性たちに対する愛から、彼女たちの宗教を認めるようになり、さらにソロモン自身が彼女たちの偶像に心を向けるようになりました。自分中心の異性との関わりは危険だと示されます。聖書記者は、「彼の心は父ダビデの心とは違って、彼の神、主と一つにはなっていなかった」と記しています。神さまとの関係と夫婦関係には、どちらも人格関係だという点で共通のものがあります。どちらかが腐ってくるともう一つの関係も崩れてきます。そして、人々からの信頼も揺らぎます。ソロモンの変心にたいして、主は怒りを燃やされ、ソロモンの王国を分裂させ家来に与えるが、ダビデに免じて、一つの部族だけはダビデの子孫に残す、と言われました。ダビデは心から主を信じ、またそのダビデに、主は、彼の王座は長く続くと約束されていました。主はダビデを愛し、その子孫を愛されているのです。しかし、不信はさばかれます。こうして、エドムのハダデ、アラムのレゾン、そしてソロモンの家臣であったヤロブアムがソロモンに敵対し始めました。ソロモンの代にまだそのことが抑えられていたのは、ダビデに免じての、主の憐れみによることでした。
1列王記 12章
「主がそうしむけられたからである。」
(列王記1 12:15)
ソロモンが死んだとき、イスラエルの人々は、エジプトに逃れていたヤロブアムを呼び返し、彼をリーダーにして、ソロモンの子、レハブアムに税を軽くしてほしいと要求しました。彼が王位につこうとしてシェケムに来たときのことでした。ソロモンは宮や王宮など多くのものを建設したので、その費用を賄うために重税が課されていたのです。レハブアムは、主に聞かず長老たちに相談しました。彼らは、民の求めを聞くように助言しました。しかし、彼は、それが気に入らず、若者たちに相談しました。彼らは、王なのだから権威をもって強い姿勢で臨め、と勧めました。レハブアムは、若者たちの勧めに従いました。イスラエルは、ダビデ王朝に私たちの望みはない、と言って離れていきました。レハブアムは、反乱を鎮めようとして大軍を集めましたが、集められた兵たちは、神の人シェマヤに臨んだ主のみことばに従って、それぞれ自分の家に帰り、イスラエルはヤロブアムに従うイスラエル十部族と、レハブアムに従うユダ部族に分裂しました。この出来事は、直接は、経験豊かな長老たちの進言に従わず、苦労知らずで傲慢、無責任な若者たちの勧めに従ったレハブアムの愚かさの結果でしたが、そうしむけたのは主だ、と聖書記者は記しました(11:31)。ソロモンの偶像崇拝の罪にたいする主のさばきが実現したのです。しかし、イスラエルのリーダーになったヤロブアムも主を大事にする人ではありませんでした。自分の立場を守るために、自分勝手に偶像をつくり、祭司を任命し、祭りを定めました。どちらもソロモンの罪の実でした。
1列王記 13章
「このことがあった後も、ヤロブアムは悪い道から立ち返ることをせず、・・・。」
(列王記1 13:33)
イスラエルの王となったヤロブアムは、イスラエルの人々人がエルサレムの主の宮にひかれて自分を離れることを恐れ、偶像をつくり、ひとつをベテルに、もうひとつをダンに据え、自分勝手に祭司を任命しました。イスラエルを自分のところにひきつけておこうとしたのです。自分のために神を利用する生き方で、主のみこころに反することでした。
主は預言者を送ってヤロブアムに悔い改めを求められました。預言者は、ヤロブアムの造った祭壇は裂けると宣言し、ダビデの子孫ヨシヤが偽祭司たちの骨をこの祭壇の上で焼く日がくる、と預言しました。
怒って、彼を捉えよ、と命じたヤロブアムの手はしなび、祭壇は裂けました。ヤロブアムはとりなしの祈りを求め、主は彼の手を癒されました。ヤロブアムはその預言者をもてなそうとしましたが、預言者は、主がこの地での飲食を禁じられたからとヤロブアムの誘いを断わりました。
ところが、その地の一人の老預言者が、この預言者の言動に感動し、彼に好意を示そうと思い、御使いが彼を招待するように言われたと偽って、彼を連れ帰り、接待しました。預言者は、老預言者のことばを信じて彼の招待を受け、帰途、獅子に食い殺されました。主のみことばは必ず成ることが示されたのです。
主はこういう事実を見せて悔い改めを求められたのに、ヤロブアムは悔い改めませんでした。心を頑なにするな、偽預言者を警戒せよ、偽預言者になるな、主のみことばをしっかり守れ、と主が語ってくださるのを覚えました。
1列王記 14章
「ヤロブアムが自分で犯した罪と、彼がイスラエルに犯させた罪のゆえに、主はイスラエルを捨てられるのです。」(列王記1 14:16)
ヤロブアムの子アビヤが病気になりました。彼は主のみころをうかがいたいと思ったようですが、まっすぐに主の助けを求めることができませんでした。罪が妨げたのです。それで、妻を変装させて、預言者アヒヤのもとに遣わしました。
しかし主の目はごまかせません。アヒヤを通して、その子の死とヤロブアム家の絶滅、そして彼に従って偶像礼拝に走ったイスラエルの捕囚を告げられました。そのことばのとおり、その子は死に、ヤロブアム家は絶滅し(15:29)、イスラエルは移されます(2列王17:6)。
しかし、そのイスラエルのために、主はひとりの王を起す、と言われました。厳しいさばきの宣告の奥に、なんとかしてイスラエルを悔い改めに導き、主に従う国としたい、主と親しい交わりに生きる民としたい、という「ねたむほどの」主の愛が感じられます。
一方、ユダでも、レハベアム王のもとで、人々は偶像礼拝に走っていました。レハベアムの母がアモン人であったと2度くり返され、アモン人の妻を迎えたソロモンの罪がその源にあったことが示唆されています。罪にたいする主の怒りはエジプトの王シシャクの侵入を許すこととなり、ソロモンが貯えた宝物は奪われました。そして、イスラエルとユダ、主を捨てた者お互いの間では、不信と争いが続きました。恐ろしいことですが、これが罪のもたらす現実です。
主の愛にすなおに応え、主の御許に立ち返り、主を信頼し、恐れをもって主を愛する者としていただきたい、と切に願います。
1列王記 15章
「しかし、ダビデに免じて、彼の神、主は、エルサレムに一つのともしびを与えて,彼の跡を継ぐ子を起こし、エルサレムを堅く立てられた。」(列王記1 15:4)
ユダのレハブアム王、イスラエルのヤロブアム王の下で、両国の対立は続きました。ユダではレハブアムが死に、その子アビヤムが後を継ぎました。彼は父と同じように、主を尊びませんでしたが、主は、ダビデに免じて、彼に後継ぎを与え、エルサレムを堅く立てさせられました。アビヤムは3年で死に、アサが後を継ぎました。
アサは、ダビデのように主を愛し主に従いました。彼は偶像を一掃し、母が偶像をつくったとき彼女を王母の位から退けました。彼の王座は41年間つづきました。イスラエルでは、ヤロブアムの子ナダブが王になりましたが、2年後、バシャが謀反を起こし、ナダブを殺し、ヤロブアム家の者を絶滅しました。預言者アヒヤの預言どおりでした(1列王14:10)。バシャとアサの間にはずっと争いがありました。イスラエルの方が強大でしたが、ユダを圧迫するための要塞建設の資材がユダの手にわたり、ユダ防衛の町々が建てられました。これは、アサの巧妙な外交政策のもたらしたもののように見えますが、その企ては、主によらず、人間の知恵と財による不純で不信仰なものでした。しかし、主はそれをも用いて、ユダを守られました。それは、「ダビデに免じて」のことでした。ダビデは主に忠実に歩みましたし、ダビデの王座は長く続く、と主はダビデに約束されていたのです(2サムL:12)。主は、祝福でも、呪いにおいても、お約束に忠実なご真実なお方です。
1列王記 16章
「ヌンの子ヨシュアを通して語られた主のことばのとおりであった。」(列王記1 16:34)
北王国イスラエルの王家は代々、初代の王ヤロブアムの歩みにならい、主にそむき、偶像をつくり、最後は一家皆殺しにされて滅びる、という道を歩みました。ヤロブアムは、イスラエルとユダとが分裂したとき、イスラエルの民がエルサレムの主の宮を慕ってユダに行き、自分は見放されるかも知れないという不安から、自分で偶像をつくり、民にそれを拝ませ、彼らを自分のところに引きつけておこうとしました。自分のために神を利用する姿勢でした。
主は怒り、ヤロブアム家は皆殺しにされると言われましたが(14:10)、そのとおりになりました(15:29)。ヤロブアム家を滅ぼしてイスラエルの王となったバシャもヤロブアムの道を歩み、主の怒りを招きました。預言者エフーは、バシャ家もヤロブアム家と同じように皆殺しにされると預言しました。そのとおり、ジムリが反乱をおこしてバシャ家の者を皆殺しにしました。
ジムリの後、イスラエルの王位についたオムリは、勢力を貯え、サマリヤの町を建て、シドン人の王の娘イゼベルを息子アハブの妻に迎え、国内的にも、国際的にも、イスラエルの地位を高めました。しかし、神にたいしては、それまでの王たち以上にひどい偶像礼拝者でした。彼の息子アハブはさらにひどい偶像礼拝者でした。そういう目に見える世界の流れの中で、エリコ再建を企てた者の子どもたちの死という事件を通して、主の預言どおりに事が運ぶことを、主は示されました(ヨシュア6:26参照)。
目に見えないところで働いておられる主の御手を認め、主を崇めることの大切さを示されます。
1列王記 17章
「エリヤを通して言われた主のことばのとおり、かめの粉は尽きず、壺の油はなくならなかった。」
(列王記1 17:16)
オムリの後を継いだイスラエルの王アハブは有能な王でしたが、彼以前の王たち以上に偶像礼拝に走りました。主はイスラエルの目を主に向けさせるために厳しい措置を取られました。3年間は雨が降らない、と預言者エリヤを通して宣言されました。そのとおりになりました。
エリヤには、ケリテ川のほとりに身を隠し、主が送る烏の運んでくる食べ物で身を養え、と言われました。そのとおり、烏の運んでくるパンと肉でエリヤは養われました。ケリテ川の水が涸れてくると、今度はシドンのツアレファテで一人のやもめに養ってもらえ、と命じられました。
行ってみると、そのやもめは、すべての食料が尽き果て、最後に残った粉と油でパンを作って食べ、その後、餓死を待つ、という状態でした。エリヤは、残った粉と油でパンを作れ、しかし、まず私のところへ持ってこい、それから自分たちのパンを作れ、雨が降るまで、その粉と油は尽きないと主は言われたから、と言いました。不思議にそのとおりになりました。
ところが、その息子が病気になり、死んでしまいました。やもめがエリヤに訴えると、エリヤは、その子を受け取り、主に祈りました。主は、エリヤの祈りを聞かれ、その子を生き返らせました。
これらすべての出来事は、主がエリヤを目に見えるところによらずただ主のみことばにのみ従う者とするための訓練で、そのように整えられたエリヤを主はイスラエルの王アハブに遣わしイスラエルの偶像礼拝の虚しさを示されるのだ、と受け止めました。
1列王記 18章
「私の仕えている万軍の主は生きておられます。」(列王記1 18:15)
イスラエルに雨が降らなくなって3年たちました。民は苦しみました。主は、人にたよらず主によって立つように訓練されたエリヤをイスラエルに遣わされました。雨を降らすから、アハブに会いに行け、とエリヤに言われたのです。王アハブも水を求めて、ひそかに主を恐れていた重臣オバデヤと手分けして水のあるところを探していました。
エリヤは、オバデヤを通してアハブに会い、彼に、450人のバアルの預言者とアシェラの預言者400人を集めよ、彼らの偶像と、イスラエルの主とどちらが神であるかをはっきりさせよう、と迫りました。民が集まったとき、エリヤは、「おまえたちは、いつまで、どっちつかずによろめいているのか。もし、主が神であれば、主に従い、もし、バアルが神であれば、バアルに従え」とイスラエルの民に迫りましたが、民は黙ったままでした。
エリヤは、この民の前で、いけにえを祭壇に乗せて、祈り、火をもって答える神こそ真の神であるとしよう、と偶像の預言者たちに挑戦しました。そして、偶像の預言者が全く無力であることが明らかになったとき、エリヤは主の祭壇を建て直し、主に、火をもって答え、主こそ神であることを示してください、と祈りました。
主は彼の祈りに答え、火が下っていけにえを焼き尽くしました。イスラエルは主を恐れました。そして、主は雨を降らせてくださいました。この変化は、エリヤが万軍の主を真に恐れ信じたところから始まりました。
一人の人が本当に主を知り、主を信じ、主を愛し、主に従うようになるとき、大きな変化がもたらされることを覚えます。
1列王記 19章
「エリヤよ。ここで何をしているのか。」(列王記1 19:9,13)
アハブ王がエリヤのしたことすべてを王妃イゼベルに告げたとき、彼女はエリヤに、お前を殺す、と伝えました。そのとき、それまで主を見上げて雄々しく戦ってきエリヤが、イゼベルを恐れて逃げ出しました。バアルの預言者たちとの戦いで心身ともに消耗し尽くしたからでしょうか。
そのエリヤを、主は、眠らせ食べさせ神の山ホレブに導かれました。主は精神主義者ではありません。疲れた働き人に叱咤激励でなく休みと食物を与え、親しく語りかけられたのです。
エリヤは、自分は主に忠実に働いたのにイスラエルは逆らい私のいのちを求める、残ったのは私ひとだけりだ、と訴えました。主から目を逸らし自分と周りの人々を見るだけでした。そういうエリヤに、主は「エリヤよ。ここで何をしているのか」と聞かれました。主を見上げ主の前で自分自身を見るように導かれたのです。そして主ご自身のみ声を聞かせられました。
大風の中でも地震の中でも火の中でもなく、大声ではなく、静かに語りかけられました。私たちにも、主は、心の奥深く、静かに御声を聞かせられることがあります。主のご本心を聞くには、心を静めて主の沈黙の声を聞きわける心の耳が必要です。
このとき、主は、アラムの王も、イスラエルの王も、主のみことばを取り次ぐ預言者の働きも、すべて御手の中に納めておられる主であることを示されました。このときからエリヤの回復過程は始まりました。彼は主のご命令三つのうち一つを成し遂げました。残りは彼の後継者エリシャが引き継ぎました。人は主の大きな御業の一端を担うために召されるのです。
1列王記 20章
「あなたは主のみ声に聞き従わなかったので、・・・。」 (列王記1 20:36)
アハブがイスラエルの王がであったとき、アラムの王はベン・ハダドでした。彼の下には32人の王(領主)がいて、ベン・ハダドの下でそれぞれの地域を支配していました。彼らはイスラエルを攻め、その都サマリヤを包囲し、降伏を求めました。イスラエルの王アハブは、降伏しようとしましたが、その条件が過酷だったので、長老たちが、反対し、戦争になりました。
そのとき、主がイスラエルに勝利を得させイスラエルの主こそ主であることを示す、とひとりの預言者が言いました。アハブとイスラエルが預言者の言うとおりにすると、イスラエルは圧倒的なアラム軍を敗走させました。
まもなく、アラムは、地域の王たちによる分権体制ではなく王直属の総督による中央集権体制に切り替え、圧倒的な大軍を動員し、また先の戦いは山地だったから山地の神であるイスラエルの神に勝てなかったので今度は平地で戦い勝利を得ると言って、イスラエルに平地で戦いを挑んできました。
主は、神の人の口を通して、アラムの大軍を打ち破ってイスラエルの主が全地の主であることを示そうと言われ、そのとおりになりました。しかし、アハブは主を崇めず、勝利は自分たちの力によると思って、高ぶり、ベン・ハダドを赦して自分の寛大さを誇示しようとしました。
しかし、主は、アハブにも、イスラエルの民にも、すべてのものを支配しておられるのは主であることを認めさせようとされていたのです。ですから、善意ではあっても預言者の言うことを聞かなかった人をさばかれました(36)。何よりも大切なのは主を崇め畏れることです。
1列王記 21章
「あなたは、アハブがわたしの前にへりくだっているのを見たか。」(列王記1 21:29)
アハブは、イズレエルの自分の宮殿の隣りにあったナボテの土地を手に入れたいと思いました。代わりの土地を与えるか、銀で支払うからその土地を譲ってほしい、とナボテに言いました。ナボテは、先祖のゆずりの地だから譲ることはできない、と言ってことわりました。
イスラエルでは、土地は主のものであり、主から与えられた土地は売ってはならない、と定められていたのです(レビ25:23)。アハブは不機嫌になりました。それを見た妻のイゼベルは、その土地は私があなたのために手に入れてあげる、と言いました。
彼女は、アハブ王の名で裁判を招集し、ナボテの罪をでっち上げ、彼を死刑にするように命じました。町の長老たちは、それに従い、ナボテは死にました。イゼベルはナボテを殺して彼の土地を奪い取ったのです。情けない男と恐ろしい女の組み合わせです、イゼベルはシドン人の王エテバアルの娘で、主を恐れることを知らず、王ならば権力を振るい自分のしたい放題にしてよい、と信じていたのです。
アハブはナボテが死んだと聞いたとき、事態を悟ったと思いますが、嬉々としてナボテの土地に向かいました。そのとき、エリヤが現れ、彼の罪を責め、彼の家に下るさばきを告げました。アハブは、エリヤのことばを聞くと、すぐ、悔い改めの姿勢を示しました。
主は、それをご覧になって、彼へのさばきを延期されました。主はそれほど悔い改めを喜ばれるのです。罪を犯したときは、ごまかしたり、言い訳をしたり、罪滅ぼしの道を考えたりしないで、すなおに悔い改めることが大切だ、と示されます。
1列王記 22章
「主が語られたことばのとおりであった。」
(列王記1 22:38)
アハブは、主によってアラムに勝利を得たのに、良い格好したさでしょう、アラムの王を生かし(20:42)、それでアラムは勢力を回復しました。
アハブは、ユダの王ヨシャパテと同盟し、彼を誘いこんで、いっしょに、アラムと戦おうとしました。ヨシャパテは、アハブの態度に不安を覚えたのでしょうか、主のみことばを伺ってほしいと言いました。アハブは御用預言者たちを集めました。彼らは異口同音に、出陣して勝利を得よ、と言いました。
彼らの預言に不自然なものを感じたのでしょうか、ヨシャパテはさらに主のみことばを求めました。ミカヤが召し出され、アハブの死を予告しました。アハブに悔い改めの機会を与えようとされた主
のあわれみが感じられます(21:29)。しかし、アハブは御用預言者のことばを取り上げて、彼の帰還するときまでミカヤを閉じ込めておくように命じて、出陣しました。
しかし、何か不安を感じたのでしょう、ヨシャパテには王服で戦いに臨むように依頼し、自分は変装して戦場に出ました。敵はイスラエルの王だけを目指していて、王服のヨシャパテに襲いかかりましたが、彼がイスラエルの王でないとわかると、離れていきました。
しかし、何も知らずに射た敵の矢が、アハブの胸当てと草摺りの間の僅かの隙間に射こまれ、アハブは死にました。ミカヤが預言したとおりでした。アハブの死後、彼の血に汚れた戦車がサマリャの池で洗われたこともエリヤの預言どおりでした(21:19)。主は恐るべきお方です。その後、ヨシャパテはイスラエルと距離をおき、ユダで、主を恐れる国造りに励みました。」
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