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工場の花輪3
今週のことば

毎週に一度、一日一章ずつ解説をお届けいたします。

2024年4月21-4月27日(レビ記22-27章)

レビ記 22章

「イスラエル人の聖なるものは、わたしのために聖別しなければならない。」

                      (レビ記 22:2)

 この章では、主がモーセに三度、語っておられますが、最初のみことばは、主へのささげもののきよさが守られるように、ということでした。イスラエルでは、主へのささげものは、一部は火で焼いて主にささげられ、相当部分が祭司に与えられました。祭司は主へのささげものを食べることが許されたのです。しかし、そのとき祭司はきよくなければなりませんでした。汚れに触れていたら、夕方までは汚れているとされ、夜になってから食べることが許されました。その食事にあづかることができたのは祭司とその家族だけで、一般の人には許されませんでした。興味深いのは、家族でなくても祭司に買われた奴隷は食べることが許されていることです。私たちもイエスさまを信じ、イエスさまにすべてを委ね、イエスさまの奴隷となったとき、主の最上の恵みにあづかることができることを覚え、感動しました。主が二度目にモーセに語られたのは、ささげもの自体のきよさを求めるみことばでした。請願のささげもの、進んでささげるささげもの等の和解のいけにえは、主にささげた後、残りを兄弟姉妹がいっしょに食べて楽しんだのですが、そのささげものは欠陥のない完全なものでなければなりませんでした。私たちにとっても、献金は初穂であって、残り物であってはならないと示されます。三度目に主が語られたのは、ささげものとしてさげる獣への愛の配慮の必要性でした。主へのささげものは人の愛情を踏みにじるものであってはならない、と示されます。

レビ記 23章

「あなたがたが聖なる会合として召集する主の例祭、すなわちわたしの例祭は次のとおりである。」(レビ記 23:2)      

                      

 主がイスラエルに命じられた七つの祭りの記事です。まず第一は週ごとの安息日です。主は、六日の間はたらき七日目は仕事を休んで主にのみ目を向けるように命じられました。人は、主から世界を治め耕す仕事を託されたのですが(創世記1:27、2:15、19)、そのつとめを全うする力は主との交わりから来ます(創世記2:7)。週ごとの安息日は、主を礼拝し、主を思い、主との交わりを育てるためです。これは主の民のいのちの源泉です。それから、第一の月の14日からの過ぎ越しの祭り、15日の種いれぬパンの祭り。血をもって贖われ、エジプトでの奴隷の生活から救いだされたことを覚えたのです。それから、初穂の祭り。その日から50日目には五旬節の祭りを祝います。これらの祭りの時、イスラエルは、仕事を休み、いけにえをささげて主を礼拝しました。第七の月には贖罪の日の祭り。その月の15日から七日間は仮庵の祭りが命じられました。主がイスラエルをエジプトから救い出し、荒野を導かれたとき、彼らが仮庵に住んだことを後の子孫に知らせるためでした。主の祭りは、主の民が、主を礼拝し、主を思うためのものであるだけでなく、人々に、主の恵みと力の御業を証するためでもあったのです。新約時代の私たちは、安息日でなく、イエスさまの復活を記念して主日礼拝を守ります。その主日礼拝も日々のデボーションも降誕節や復活祭も、主を礼拝し主に思いを潜めるためですが、それはまた人々への証でもあるのです。

 

レビ記 24章

「ともしびを絶えずともしておくために、・・・。」 (レビ記 24:2)

                      

 前の章では、特別の祭りの日の礼拝についての御指示が与えられていましたが、この章では、毎夜、良質のオリ-ヴ油のともしびをともしておくことと、安息日ごとにパンを供えることが命じられています。クリスマスやイースターなど特別の祭りの時の礼拝も大切ですが、それは、週ごとの主日礼拝、日毎のデボーションに支えられているのだ、と示されます。夜毎の燭台からの光は絶えざる主の臨在を示し、週ごとにイスラエルを代表する大祭司とその子らが主に供えられたパンを食べたことはイスラエルが主によって生かされることを覚えさせます。私たちの礼拝も主の御臨在を示し、私たちが主によって生かされていることに目を向けさせます。礼拝についての記事の半ばに、悲しい出来事が示されます。ダン部族の女を母としエジプト人を父とする男が、イスラエル人と争い、主の御名を呪い、彼ののろいを聞いた者たちが、彼の頭に手を置き、そして、彼は石打ちの刑に処せられました。主をのろうことがどんなことであるかをイスラエルはしっかりと知るべきだったのです。イスラエルは主の民でした。その生の根拠を否定する者はその中で生きることができません。人として生まれた者がその父母を呪えば殺されるというのも同じです(出21:17)。私たちは、自分の生の根拠を大事にして初めて生き生きと生きられるのです。主に生かされていることを大事にしたいと思います。最後に、目には目をという社会正義を示す戒めが与えられていますが、イエスさまはそれを超える福音の倫理を示されました(マタイ5:38以下)。

レビ記 25章

「彼らは、わたしがエジプトの地から連れ出した、わたしの奴隷だからである。彼らは奴隷の身分として売られてはならない。」

                     (レビ記 25:42)

 この章の前半部分は、7年目ごとの安息の年、7年の7倍、50年目のヨベルの年についての定めです。安息の年には耕したり種を蒔いたりせず土地を休ませること、ヨベルの年には土地を休ませるだけでなく人手に渡っていた土地が元の持ち主に返されること、奴隷とされていた人も解放されること、が定められています。18節以下はそれについての補完的な定めで、町の中の住宅は最初の1年間は買戻しの権利があるがそれ以後は買戻しできないこと、土地には買戻しの権利が残ること、レビ人の家は買戻しの権利が認められること、レビ人の土地は売ってはならないこと、イスラエル人は外国人に奴隷として売られてはならないこと、土地や奴隷の買戻しはヨベルの年までの残存期間に応じて支払いがなされるべきこと、が示されます。これらの定めから主の民の生き方が示されます。7年目に土地を休ませたら生活はどうなるのかという心配に対して、6年目は3年分の収穫が約束されており、私たちを生かすのは私たちの努力ではなく主なのだ、と示されます。また、土地の売買価格はヨベルの年までの残存期間によるのは土地は主のものだからで、人は土地の所有者ではなく主の土地の管理を委ねられる者なのだ、と示されます。そして、人は主の奴隷なのだから他の何者の奴隷になってもならない、と言われます。主の奴隷との自覚が、罪と欲望から自由な真の自由人として生きる力の源泉なのです。自分が主だと思っている間は、実は、罪の奴隷なのです。

 

レビ記 26章

「わたしは彼らの神、主である。」

                     (レビ記 26:44)

 主は、イスラエルに向かって、自分のために偶像を造るな、わたしのための安息日を守り、わたしの聖所を恐れよ、わたしはあなたがたの主である、と語りだし、「もし、あなたがたがわたしのおきてに従って歩み、わたしの命令を守り、それを行うなら、」あなたがたを祝福する、と言われました。その祝福は、豊かな収穫から始まり、平和、勝利、多くの子どもが与えられ、確かな生活が送れるようになること、さらに、主が彼らの中に住み、共に歩み、彼らの神となってくださり、彼らは神の民となる、ということにまで及びました。このお約束のみことばの結びとして、主は、「わたしはあなたがたを、奴隷の身分から救い出すためにエジプトの地から連れ出したあなた方の神、主である。」と宣言されました。主は御民に主との親しい交わりを与えたいのです。そして、彼らをその主との交わりの祝福の実を受けるにふさわしく整えるために、他のものに目を向けず、ただ主のみを大事にするようにお命じになりました。主を信頼し、主に感謝して主の御命令を守り、主の祝福を受けよ、と言われるのです。しかし、人は、祝福を自分でかち取るために、戒めを守ろうとします。それは不信感と対抗意識から出てくる態度です。しかし、人はそのことを自覚しません。ですから、そういう者に、主の戒めを守らないなら災いを与える、と言われたのです。しかし、災いを与えながらも、主は彼らに与えられた契約を覚えていてくださるのです。彼らが、主の愛を知り自分の無力を認め、主に寄りすがって祝福を得ることを願っておられるのです。

レビ記 27章

「主にささげるものはみな、聖なるものとなる。それを他のもので代用したり、・・・取り替えてはならない。」

                   (レビ記 27:9,10)

 レビ記は、主を礼拝するための手段について教え、主の民は主を礼拝する者であることを示し、きよく歩むべきことを命じ、最後に主へのささげものについて語ります。主の恵みを受け、感謝した者の応答が感謝のささげものになる、というのが順序なのです。新約聖書の献金についての教えもいつもメッセージの最後に来ます。この箇所では、まず主に請願を立てた人は年齢、性別、貧富の差に応じて、相当額の銀を納めるように命じられています。続けて、家畜をささげる場合、家をささげる場合、畑をささげる場合のことが記されています。ささげものには五分の一を加えての買い戻しが認められていました。初子や聖絶のもの、また地の産物や家畜の十分の一は初めから主のものなのでささげものにすることは許されていませんでした。ささげものについての教えのうち、家畜をささげる場合の定めのところで、ささげものは他のものと取り替えてはならないといういう規定が心に留まりました。悪いものに取り替えるのはもちろん、良いものに取り替えてもいけないと言われるのです。このみことばを読んだとき、私は、私たちは皆、主に贖われた者であり、主の恵みに応えて、自分のからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物として主にささげた者なのだということを思い出しました(ローマ12-1)。良くても悪くても私は主にささげられた者なのだ、ほかの人に代わってもらことのできないかけがえのない大事な者なのだ、と感謝と責任とを覚えました。

 

レビ記 8章

「主がモーセに命じられたとおりである。」

                       (レビ記 8:9)

 幕屋を建て終わった後、モーセはアロンとその子らを聖別し、祭司に任職しました。会衆すべてを幕屋の入口に集め、彼らの前で任職の儀式を行いました。祭司は神と会衆を結ぶ大事な人だからです。アロンとその子らに祭司の正式の装束を着せ、まず、罪のためのいけにえをささげ、それから全焼のいけにえをささげ、そして任職のいけにえをささげました。これは、今日でも、主のための御用に召される者のふまなければならない三つの段階を示しています。まず罪の赦しをいただき、すべてをささげて献身し、それから主のつとめに任ぜられるのです。罪の赦しと献身が不徹底なまま主の御用につくのは災いです。モーセは、この儀式を執り行うとき、「これは主が、するように命じられたことである。」と言い、主に命じられたとおりに行いました。そして、アロンとその子らにいくつかのことをするように命じました。彼らは、主がモーセを通して命じられたことを残らず行いました。モーセが、これは主が命じられたことと確信し、主に命じられたとおりに行い、それを見てアロンとその子らは、そのとおりに行ったのです。今も、主の御業に当たる者の心すべきことだと受け止めました。任職のいけにえをささげるとき、アロンとその子らは、いけにえの頭に手を置き、その血を耳たぶと手と足の親指にぬり、その後、いけにえの胸や腿などを主から受けました。献身者は、いけにえの頭に手をおく、つまり手のひらが空になるまで皆ささげきるとき、主が与えてくださる祝福を手のひらを上にして受けるのだ、と示されます。

レビ記 9章

「それから、八日目になって、モーセはアロンとその子ら、およびイスラエルの長老たちを呼び寄せ・・・。」

                       (レビ記 9:1)

 モーセはアロンとその子らを七日間、幕屋に止まらせ、八日目に彼らとイスラエルの長老たちを呼び寄せ、アロンとその子らに、まず自分たちの罪のためにいけにえと全焼のいけにえを、続いてイスラエルの民のための罪のためのいけにえと全焼のいけにえをささげさせ、さらに穀物のささげ物と和解のいけにえをささげさせました。彼らは、祭司として活動する前に七日間、幕屋の中で過ごしました。主の御用に当たる者は働きの前にしばらく主の御前に静まる時をもつことが必要なのです。モーセは出エジプトの大事業に入る前は荒野で過ごし、パウロも異邦人の使徒として働く前にアラビヤで過ごしました(ガラテヤ1:17)。このときの儀式は、祭司も民もまず自分の罪の贖いを受け、それから主にすべてをささげて焼き尽くすまでの献身の生活に入ることを示しています。罪のためのいけにえと全焼のいけにえに続いて、穀物のささげ物、また和解のいけにえがささげられました。これらは、罪のためのささげ物とともに、記念の部分が火で焼かれましたが、残りは祭司に与えられ、またささげた者とその家族また同じ宿営に住む者たちもともに食し楽しむことが許されました(申12:7)。主は、主を礼拝者たちの生活を支え、その交わりを楽しませてくださるのです。アロンとその子らがいけにえをささげ終えたとき、主の栄光が現われ、主の前から火が出ていけにえを焼き尽くしました。主はいけにえを受け入れ、彼らをお喜びになったのです。感謝です。

 

レビ記 10章

「わたしに近づく者によって、わたしは自分の聖を現わし、すべての民の前でわたしは自分の栄光を現わす。」(レビ記 10:3)           

  ナダフとアビフは、アロンの子で、モーセとともに主の山に上り主の栄光を拝し、祭司に任ぜられた重要な人たちでした(出24:9,10)。彼らは火皿に香を盛って主を礼拝しようとしたのですが、「異なった火」、つまり主が命じられたものでなく、自分が良いと思うものをささげたのでしょう。主への礼拝は主のみこころに従ってささげられるべきもので、人が良いと思うやり方でささげられるものではないのです。人が良いと思う礼拝やささげ物には、気がつかないうちに、自己主張やごまかしが混じりこみます。自分で良いと思うやり方で主に近づくなら、厳しいさばきにあいます。主は聖なる御方だからです。主は「わたしに近づく者によって、わたしは自分の聖を現わし、すべての民の前でわたしは自分の栄光を現わす。」と言われました。ナダフとアビフは主に打たれて死にました。モーセはウジエルの二人の子にナダフとアビフの死体を運び出させ、アロンとその子エレアザルとイタマルに幕屋に止まることを命じ、主はアロンに語りかけ、彼も彼の子らも、身を慎み祭司のつとめを続けるように語りかけられました。罪はさばかれますが主の召しは重んじられるのです。モーセは祭司に与えられた聖なる食物を食べるように命じましたがアロンはそれをすでに焼いていました。モーセは怒りましたがアロンの弁明を受け入れました。主は主の聖をおかす不敬はさばかれますが、傷ついた人々に深い配慮を注がれる憐れみ深い御方です。恐れと感謝を覚えます。

レビ記 11章

「また、もしそれらのどの死体が、蒔こうとしている種の上に落ちても、それはきよい。」

                     (レビ記 11:37)

 ナダブとアビフの事件があって後、主は、イスラエルは聖なる者とならなければならない、と命じ、きよいものを食べ、汚れたものを食べてはならないと語られました。動物ではひずめが分かれていて反芻するもの、水中の生き物ではうろこのあるものはきよく、食べて良いが、そうでないものは汚れているから食べてはならない、と言われました。それから、鳥や昆虫、地にはうもののうち食べてよいものと食べてはいけないものとが示されます。そして、死体に触れると汚れるから、死体に触れて汚れた衣服や袋また器具などは、水に浸し、洗いきよめ、あるいは砕くように指示されます。イスラエルの民は聖なる民であり、きよくなければならない、と言われるのです。それは、彼らをエジプトから導き出された主が聖なる御方だからです。神は聖ですから、主の民も聖でなければならないのです(1ペテロ1:15)。主の民のきよさを願う主のみこころが迫ってきます。このきよい生活の勧めの中で、死体は汚れたものでそれに触れるものはすべて汚れるとしながら、蒔こうとしている種の上に死体が落ちかかってもその種はきょいとされていることが心に留まりました。新鮮な命を宿した種は汚れよりも強いのです。「私もいのちの君イエスさまを宿し、イエスさまの御霊に生かされるとき、汚れをはねのけてきよく生きることができます。イエスさまに身を委ねイエスさまの御霊を受けて生きようと思います。御霊様、私をきよく生かしてください”と祈りました。

 

レビ記 12章

「祭司はこれを主の前にささげ、彼女のために贖いをしなさい。彼女はその出血からきよめられる。」 (レビ記 12:7)            

                     

 この章は、出産による汚れからのきよめの規定です。出血は汚れとされていましたし、出産には出血がともないますから、産婦は汚れた者とされ、血のきよめのために、一定期間、家にこもることが命じられました。男子を産んだ場合は七日間、汚れた者とされ、それに続く33日は家にこもるように指示されました。生まれたのが女の子の場合は2週間、汚れた者とされ、66日間ひきこもりました。この定めは、出産後の休養のためにも役立ったことでしょうが、主の民にきよい生活の大切さを教えることが本来の目的でした。主の前に、異なった火をささげようとしてさばかれたナダブとアビフの事件後のきよめの規定の一環として語られていることから、そう受け取るのが良いと思われます。出産の汚れを受けた女は、定めの期間が過ぎたとき、全焼のいけにえと罪のためのいけにえを主の前に持ってきて、祭司がそれをささげることによって、きよめられました。汚れに対してきよめの道が開かれていることに感謝を覚えました。全焼のいけにえは子羊一頭、罪のためのいけにえは家鳩のひな一羽か山鳩一羽でした。子どもに対する高い評価と暖かい心遣に感動しました。また、貧しい人のために、鳩を二羽ささげて、一羽は全焼のいけにえ、一羽は罪のためのいけにえとする道も開かれていたことにも感謝を覚えました。生まれた子が男の子の場合、8日目に割礼が施されました。ご自分の民をきよい民としたいと思っておられる主の御思いが心に迫まります。

 

レビ記 13章

「その患部のある物は火で焼かれなければならない。」

                     (レビ記 13:57)

 レビ記のきよめの規定は、からだに現れる皮膚病、また衣服や織物、編み物、皮製品などに現れるカビのきよめにも及びます。からだに腫れ物、かさぶた、また光る斑点などが現れた場合、それを祭司に見せ、それが根深く進行しているのを確認されたなら彼は汚れた者と宣言され、群れの外に隔離されました。はっきり確認されない場合は7日間、隔離して再び調べ、進行せず良いほうに向かっているのがわかったらきよいと宣言されました。皮膚病にはいろいろなものがありましたが、そのどれについても、同じように、祭司が見てきよいか汚れているかを判定し、それに従って、隔離されるか受け入れられるかが分かれました。衣服や織物、編み物、皮製品などに現れるカビについても、基本的には同じように処理されました。衣服などの場合、汚れていると判定されたカビは切り取られ焼き捨てられました。これは私たちの罪にたいする対し方を教えるみことばだと受け取ることができます。私たちはいろいろな罪の誘惑にさらされており、しばしば、罪に引きずり込まれますが、ひょっとした弾みで犯してしまった罪もあり、深くそれに捕えられてどうしても抜け出せない罪もあります。前者は悔改めて赦しを祈ることで解き放たれますが、後者の罪については私たちの力ではどうにもなりません。ですからイエスさまがそれを背負って十字架につき神に捨てられたのです。それによって私たちの罪は処理され、私たちは復活の主にある新しいいのちにあって新しく生きる者とされました。古い自分は死に、新しくされて生きるのです。

 

レビ記 14章

「その者はきよい。」

                      (レビ記 14:8)

 13章では、皮膚病や腫れ物をどう認定するかが扱われていましたが、14章では、病人がどのようにしてきよいと認められ群れに回復されるかの規定が示されます。病人は宿営の外に隔離されていましたから、癒されたとき、祭司は宿営の外に出て行って、彼を調べ、彼が癒されているのを確認したら、二羽のきよい小鳥と杉の木と緋色の撚り糸とヒソプを用意し、土の器に入れた湧き水の上で、一羽を殺し、その中にもう一羽を、杉の木と緋色の撚り糸とヒソプとともにひたし、それを癒された人の上に七たび振りかけ、「その者はきよい。」と宣言されます。生きている小鳥は野に放たれました。血によってきよめられ新しく生きることを示しているのでしょうか、あるいは汚れを遠くへ運び去らせるという意味でしょうか。こうして彼は宿営に入りますが、なお七日間は家に入らず、八日目に傷のない雄の子羊2頭と、傷のない雌の子羊1頭と、穀物のささげ物と油を用意し、罪過のいけにえ、全焼のいけにえ、また罪のためのいけにえとしてささげました。罪過のためのいけにえの血はきよめられた者の右の耳たぶと右手の親指と右足の親指に塗られ、また油も主の前に振りかけられた後に、同じようにきよめられた者の耳たぶと右手の親指と右足の親指に塗られました。きよめられ主の民として生きるようになった者は、聞くことでも手で行うことでも、日々の歩みでも、主のきよめを受けて生きるのです。家が汚れたときにも、同じようにしてきよめられました。主は私たちをきよい民として生活させたいのだ、と感謝して聞きました。

レビ記 1章

「これは全焼のいけにえであり、主へのなだめのかおりの火によるささげ物である。」

                      (レビ記 1:13) 

 イスラエルが主のおことばどおり幕屋を建て終わったとき、主はモーセを呼び寄せ、イスラエルに礼拝の仕方を教えられました。そのことを記しているのがレビ記です。幕屋建設を記す出エジプト記と、主の民としての生活についての教えを語る民数記、申命記とをつなぐ文書です。レビ記はまずささげものについての規定で始まります。創世記から、ずっと、主の民は事あるごとにまず祭壇を築いていけにえをささげたことが記されていました。ノアもアブラハムもそうでした(創8:20、12:7)。1章は全焼のいけにえについての御指示です。全焼のいけにえとしては、牛か羊がささげられましたが、貧しい者は山鳩または家鳩のひなをささげました。いけにえに違いはあっても、ささげ方はみな同じでした。自分でささげ物を携えてきて、その上に手を置き、それを切り裂き、祭司がその血を祭壇の周りに注ぎかけ、汚物を取り除いてきよい部分はすべて火で焼いてささげました。全焼のいけにえの奉献は私たちの献身に当てはまります。ささげる人がそのうえに手を置くことはささげものすなわち自分自身であることを示し、それを全部火で焼いてささげたことは何一つ自分のものとして留保しておかずすべてを主にささげることを示しています。そして、その血を祭壇の周りに注いだことは私たちの献身が私たちの人間的なささげもので終わらず、主による贖いによってきよめられ聖なる供え物とされることを示しています。お前の献身はどうか、と問われます。

 

レビ記 2章

「人が主に穀物のささげ物をささげるときは、ささげ物は小麦粉でなければならない。その上に油を注ぎ、その上に乳香を添え、・・・。」

                      (レビ記 2:1) 

 全焼のいけにえの次に穀物のいけにえについての定めが与えられます。穀物のいけにえは、ささげる者の奉仕をあらわすものと考えられます。穀物のいけにえは、小麦粉のまま、あるいはかまどで焼いて、あるいは平鍋で焼いて、といろいろな形でささげられましたが、その一部が祭壇で焼いて主にささげられ、残りが祭司に与えられました。まず主にささげられ、多くが奉仕者の生活を支えるために用いられたのです。ささげる者が祭司を養うのでなく、主がささげられたものを用いて祭司たちを支えられるのだ、という意味が含まれています。穀物のいけには、いつも、動物のいけにえに添えてささげられましたが(たとえば民数記15章)、このことも、まず、主への礼拝があって、それが奉仕の生活を生み出すことを示しています。穀物のいけにえには、油と乳香が添えられましたが、油は聖霊を表わし、乳香は医薬品でした。主の民の奉仕は、人が人を助けるだけのものではく、聖霊によってきよめられ、人々を癒す働きとなることを示しています。私たちの奉仕はそういう奉仕になっているか、と迫られます。また、小麦粉は滑らかでどんな容器にも応じられる柔らかさをもっていますが、私たちは、どんな人にも状況にも応じる柔軟さをもって奉仕しているか、と自らを省みました。そして、また、このいけえにはパン種や蜜を入れてはいけない、と戒められていますが、主への奉仕には、人間的な自己主張や虚飾が混入してはならないのだ、と示されます。

 

レビ記 3章

「もしそのささげ物が和解のいけにえの場合、牛をささげようとするなら、・・・。」

                       (レビ記 3:1) 3章は和解のいけにえについての定めです。和解のいけにえには、感謝のささげ物、請願のささげ物、進んでささげるささげ物があり、神との交わり、祭司とささげる者、そして同じ共同体に属する者たちとの交わりを育てました(7:11以下)。ここでは、和解のいけにえとして牛がささげられる場合、羊または子羊の場合、そしてやぎの場合について事細かく記されていますが、ささげる物は違っても、ささげ方は同じでした。まず傷のないものがささげられなければなりませんでした。そして、ささげる者がささげ物の頭に手をおいてそれをほふり、アロンの子らである祭司がその血を祭壇の周りに注ぐように命じられました。いけにえの脂肪全部と腎臓、肝臓の上の小葉は火で焼いて主にささげられました。胸と右のももとは祭司に与えられ(7:31,32)、残りは、ささげた人のものとなり、彼はそれを彼の家族や奴隷、また同じ町囲みにいるレビ人も招いて、いっしょに食べて喜び楽しむように、と言われました(申12:7,12)。和解のいけにえについての定めは、私たちの神との交わり、人々との交わりの姿を示しています。それは傷のないきよい交わりです。嘘偽りがあっては神さまと交わることはできません。また、言い逃れをしない責任をもった交わりです。いけにえの頭に手をおくのは自分自身をすべて差し出すことを示しています。そのような責任のあるきよい交わりは、すべての人々に喜びをもたらします。しかし、それは人の善意と努力によるのでなく、主の血によって贖われきよめられて育つのです。

 

レビ記 4章

「油そそがれた祭司はその牡牛の血を取り、それを会見の天幕に持ってはいりなさい。」

                      (レビ記 4:5)

 

 この章は罪のためのいけにえについての定めです。盗みや姦淫など個々の具体的な罪と、存在そのものが罪に染まっているという全体的な罪とは、密接につながってはいますが、区別があります。レビ記でも、そのように扱われています。4章は全体的な罪、5章は個々の罪の贖いについての規定です。主の前にイスラエルを霊的に代表する祭司が罪を犯した場合、イスラエルの全会衆が罪を犯した場合、また上に立つ者が罪を犯した場合、そして一般の人が罪を犯した場合、それぞれどうするかが定められています。祭司が罪を犯した場合、イスラエルの全会衆が罪を犯した場合は若い雄牛、上に立つ者が罪を犯した場合は雄やぎ、一般の人々の場合は、雌やぎ、あるいは雌羊、とささげるものは違いましたが、皆、傷のないものでなければならず、罪を犯した者がその頭に手をおいて、それを屠り、祭司がその血を主にささげることは共通でした。ただ、血を塗るのは、祭司あるいは民全体の場合は幕屋の中の祭壇の角、上に立つ者や一般の人の場合は幕屋の前の祭壇の角でした。罪の赦しは血を注ぐことによってのみ与えられることを示しています(ヘブル9:22)。そして、罪を犯した者が責任回避をはからず自分で責任を負うところで罪の赦しを自分のものとすることができるのです。脂肪と腎臓、肝臓の上の小葉は焼いて主にささげ、皮や残りの内臓などは、宿営の外のきよい所で焼くように指示されています。このように祭司が贖いをして罪は赦されるのです。

レビ記 5章

「祭司は、その人のために、その人の犯した罪の贖いをしなさい。その人はゆるされる。」

                      (レビ記 5:10)

 4章では罪のためのいけにえについての定め、5章では罪過のためのいけにえの定めが与えられています。罪過とは罪が具体的に現れたもの。ここでは、証言すべきときに証言しなかったこと、汚れたものに触れて汚れを受けたこと、軽々しく誓ったこと、があげられています。これらの罪を犯した人は、まず、そのことを告白します。私たちにも、イエスさまの血によって罪の赦しが与えられますが、罪の赦しを自分のものとするには、罪を告白しイエスさまにたいする信仰を告白することが必要です。そして、罪のためのいけにえをささげます。子羊でも、やぎでも、雌一頭を、主の前に連れてきます。羊を買う余裕のない人は山鳩二羽、または家鳩のひな二羽を祭司の所にもって来て、一羽を罪のためのいけにえ、もう一羽を全焼のいけにえとします。罪の贖いで止まらず、献身にまで進むのです。祭司はいけにえの血を祭壇の側面にそそぎ、残りを祭壇の土台のところに絞り出します。罪の贖いは血の注ぎによるのです。鳩にも手の届かない人は小麦粉をささげます。この場合、それには油や香料を加えません。悔改めには弁解や誇張などの混じり物があってはならないのです。聖なるものに対して罪を犯したときは、それを返し、それに五分の一を加えて贖いをし、雄羊一頭の罪過のいけにえをささげます。罪は見過ごされてはなりません。償いが必要です。こうして、いけにえの血によって罪は赦されました。私たちはイエスさまの血によって赦されます。感謝です。

 

レビ記 6章

「全焼のいけにえそのものは、一晩中朝まで、祭壇の上の炉床にあるようにし、祭壇の火はそこで燃え続けさせなければならない。」 (レビ記 6:9)         

                      

 この章の7節までは5章の続きで、罪過のいけにえのことが語られています。預かり物や見つけた落し物などを欺いて自分のものとしたような場合、その物を返すだけでなく、それに五分の一を加えて償いをし、それから罪過のためのいけにえをささげて、赦しを与えられるのだ、ということが示されています。私たちも誤って罪を犯すことが多い者ですが、「彼が行って罪過ある者とされたことのどれについても赦される。」という宣言は何と大きな慰めでしょうか。8節以下は、全焼のいけにえと和解のいけにえ、また穀物のいけにえ、そして罪のためのいけにえのいわば施行細則に当たる規定です。全焼のいけにえは、燃え尽きて灰になるまで焼き尽くすことが命じられており、その上で和解のいけにえの脂肪、また穀物のいけにえの記念の分が油と乳香とともに焼かれます。穀物のいけにえの残りのものは祭司たちのための聖なるものとされ、男子の祭司たちがそれを食べました。罪のためのいけにえは、全焼のいけにえがほふられたところで屠られ、祭司たちが、会見の天幕の庭の聖なるところで食べました。全焼のいけにえは、私たちの献身を表わしています。全焼のいけにえにえが灰になるまで焼きつくされることは、献身は中途半端なものではなく、最後まで主にささげつくすものでなければならないことを示しています。そして、そのように主にささげ尽くす者には、主は祭司のための食べ物を備えられたように、生活に必要なものを備えてくださるのです。

レビ記 7章

「そのいけにえはそれをもって贖いをする祭司のものとなる。」

                       (レビ記 7:7)

 

 前の章に続くいけにえの施行細則で、この章では罪過のためのいけにえと和解のいけにえが取り上げられています。罪過のいけにえは全焼のいけにえをほふる場所で屠り、血は祭壇の回りに注ぎかけ、脂肪と腎臓、そのうえの小葉は火で焼いて主にささげられます。祭司はそれを聖なる所で食べるように命じられました。残りの皮と肉は祭司に与えられました。穀物のささげ物も祭司に与えられました。主は聖なる奉仕に携わる者の生活を支えてくださるのです。私たちも、礼拝や宣教などの主の御用に当たる方々を支えることに心を用いなければならない、と示されます。和解のいけにえには、感謝のいけにえと請願のいけにえ、また進んでささげるささげ物がありましたが、それも祭司に与えられました。感謝のいけにえはその日のうちに食べなければならず、次の日まで残すことは許されませんでした。請願のささげ物と進んでささげるささげ物は次の日までは食べることを許されましたが、三日目まで残したものは火で焼かれました。和解のいけにえには、ささげた者が、主の御前で、家族や周りの兄弟姉妹といっしょに食べて楽しみ、交わりを育てる役割がありましたが(申12:7,12)、交わりを育てるには、感謝はすぐに言い表わし、約束は速やかに果たさなければなりません。また、ささげ物を食する者は身をきよく保つことが命じられています。主の恵みをいただくには汚れを捨てて身をきよめることが必要なのです。そして、脂肪は主のもの、血はいのち、主に対するおそれをもって生活することが大切だ、と示されます。

 

創世記 49章

「私をヘテ人エフロンの畑地にあるほら穴に、私の先祖たちといっしょに葬ってくれ。」

                     (創世記 49:29)

 

 ヤコブは、死を迎えようとしたとき、彼の子どもたちを呼び集め、彼らに、別かれのことばを述べました。それは、子どもたちひとりひとりの祝福を祈ることばでしたが、同時に、彼らのその後の歩みについての預言でもありました。ルベン、シメオン、レビについては、父のそば女と通じたこと、シェケムでの暴虐と彼らそれぞれの罪を指摘し、それが彼らのその後の歩みから祝福を奪うことになる、と告げました。彼らは罪を悔改めなかったのです。悔改めない罪は主からの祝福を妨げます。ユダも罪を犯しましたが、彼は自分の罪を認め(38:26)、弟ベニヤミンの代わりに自分が奴隷となろうと申し出ました(44:33)。このユダが兄弟たちの中でリーダーとなり、彼から救い主が出る、と言われたのです。悔改めて兄弟たちのために自分のいのちを捨てる愛の人と変えられる人に主の民の歩みが託されるのです(ヨハネ15:13)。ヨセフは兄弟たちのねたみを買い大きな苦しみを受けましたが、主の祝福をいただいて、大きく成長し、偉大な人となりました。彼の努力や精進によるよりも、“彼を助けようとされる彼の父なる神により、また彼を祝福しようとされる全能者による”ことでした。努力することは大事ですが、真の祝福は神から来るのです。ヤコブは最後に、自分を、エジプトではなく、カナンにある先祖の墓に葬るように命じました。自分の死をもって、子孫が主の約束の地(28:13)を求め、主の民となることを目指すようにと示したのです。

 

創世記 50章

「神は必ずあなたがたを顧みてくださるから、そのときあなたがたは私の遺体をここから携え上ってください。」                     (創世記 50:25)

 

 ヤコブは天寿を全うし主の民に加えられました。そのとき、彼は、自分を先祖伝来の墓に葬るように命じました。それで、ヨセフは、エジプト王パロの許しを得て、ヤコブの遺体をカナンの地に運び、そこで盛大な葬儀を営み、マクペラのほら穴の先祖伝来の墓地に葬りました。彼が、一国の宰相という重要な地位にありながら、私事のために国をあけることを許され、また多くのエジプト人がその葬儀に参加したことは、彼がエジプトのためにどんなに尽くしてきたかを反映するものでした。自分の与えられた使命を忠実に果たすことの大切さを思います。ヤコブが死んだとき、兄たちは、ヨセフの仕返しを恐れ、ヨセフの赦しを求めましたが、ヨセフは、彼らの悪事は、神がイスラエルを飢饉から救うためにヨセフを前もってエジプトに遣わすためだったのだ、とやさしく語り、彼らを赦し、彼らの子孫を養うと約束しました。ヨセフは、自分に降りかかった不幸を災いと捕えず、彼に大事な使命を果たさせるための主の備えなのだと信じるようになっていたのです(45:5)。それだけでなく、自分に与えられた使命を超える大きな主の御業を覚え、神がイスラエルを顧みられるとき、自分の遺体をカナンの地に携え上るように命じました。彼は、災いをも積極的に受け止め、その背後に主の御手を認め、自分に与えられた使命を見出しただけでなく、それを越える、主が備えられる永遠の都を証したのです(ヘブル 11:22)。お前の信仰はどうか、と問われます。

 

出エジプト記 1章

「イスラエルの民は増え、非常に強くなった。」(出エジプト記 1:20)            

                   

 アブラハム、イサク、そしてヤコブに、主は、彼らの子孫を増やしカナンの地を与えると約束されましたが、飢饉が来てイスラエルはカナンの地に住めなくなりました。そのとき、不思議なことに、先に兄たちに憎まれ奴隷に売られたヨセフが、エジプトで、王パロの夢を解き、王に、7年の豊作の後、7年の飢饉が来る、と告げ、豊作の間に飢饉に備えるように勧め、それが認められて王に次ぐ権力を与えられていました。彼は、食料を求めてエジプトに来た兄弟たちを認め、赦し、彼らを招いたので、イスラエルはエジプトに移住してきました。彼らはエジプトで豊かになり大部族になりました。しかし、王朝が変わり、イスラエルが増え力を持つことが危険視されるようになり、イスラエルは厳しい苦役を課されました。それでも、イスラエル人は増え続けました。主が彼らを祝福されたのです。エジプトの経済は、イスラエル人の苦役によって支えられるところが大きく、エジプトにとって、イスラエル人の労働力は貴重でしたが、イスラエルが力を持つことは危険でした。ですから、王は、助産婦たちに、イスラエルの女が子を産むとき、赤子が女だったら生かしておき、男だったら殺すように命じました。しかし、助産婦たちは主を恐れ、男の子も生かしておきました。イスラエルはますます増え広がりました。主の恵みだと言うほかありません。王は、全国民に、イスラエルの男の新生児は皆ナイル川に投げ込め、と命じました。とんでもない災いでしたが、それが主の救いの伏線となったのです。私たちも、苦難の中に主の救いの前触れを見る者でありたいものです。

 

出エジプト記 2章

「神はイスラエルの子らをご覧になった。神は彼らをみこころに留められた。」

                   (出エジプト記 2:25)

 エジプトに移住したイスラエル人は多産で人口が急増しました。イスラエルに対するエジプトの警戒心が高まり、イスラエルは苦役を課されました。それでもイスラエル人の増加は止まらず、エジプト王は、イスラエルに生まれる男の子は皆ナイル川に投げ込んで殺せ、と命じました。そのとき、イスラエルに一人の男の子が生まれました。あまりのかわいさに、母は、3ヶ月の間かくしましたが、隠し切れなくなり、篭に入れてナイルの葦の茂みの中に置きました。そのときエジプト王の娘が水浴びに来て、その子を見出し、憐れに思い、見守っていた姉の機転でその子はエジプト王女の子とされ、モーセと名づけられ、イスラエルの母のもとで育てられ、成長するとエジプト王女の子とされました。彼は、若者となったとき、イスラエル人を打つエジプト人を見てそのエジプト人を殺しましたが、イスラエル人の争いを仲裁しようとして、イスラエル人は彼を認めていないことを知り、エジプト王からは命を狙われ、ミデアンの砂漠に逃れました。そして、ミデアン人の祭司の娘を妻にし、寄留の生活を過ごしました。彼の熱い同胞愛と正義感は何の救いももたらさず、かえって彼を失意のうちに砂漠で逃亡生活を送らせることになりました。しかし、実は、それが彼を真の解放者とするための主の備えでした。主は人の力によらず、主の御力によってイスラエルを救おうとしておられたのです。主はイスラエルに心を留めておられたのです。モーセが生き延びることができたのも、挫折し、謙虚にさせられたのも、イスラエルを救うための主の備えだったのです。

出エジプト記 3章

「わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみを確かに見、追いたてる者たちの前での彼らの叫びを聞いた。」 (出エジプト記 3:7)           

                    

 モーセは、イスラエル人を救おうとして挫折し、砂漠に逃れ、羊を飼い、エジプトのことも忘れて、無気力な生活をつづけていました。彼は羊を追ってホレブの山のふもとまで来たとき、燃える炎の中で燃え尽きない柴を見て、どうしてかを知ろうとして近づきました。主はご自身の聖なることを示し、彼に語りかけられました。「わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみを確かに見、追いたてる者たちの前での彼らの叫びを聞いた。わたしは彼らの痛みを確かに知っている。」モーセは忘れていましたが、主は知っておられました。そして、時が来たので、エジプトのイスラエルを救うために下ってきて、モーセを召し、彼をエジプト王パロに遣わし、イスラエルをエジプトから導き出す、と言われたのです。モーセは、私は力がなくそんなことは出来ません、と答えました。しかし、主は、自分の無力さを知り、自分により頼むことなく、主を信頼し、主によって立つ人を用いられるのです。主はモーセがそのような器となるように砂漠で育てられていたのです。そして、主は、モーセに、「わたしが、あなたとともにいる。・・・このわたしがあなたを遣わす」と語り、その神は「わたしはある」と言われる神、「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、主」であり、イスラエルの主なのだ、と言われました。どこにも在し、全知全能、契約を結び、すべてを生かし肯定される主、そして親しくともに歩んでくださる主です。この主が私たちの主でもあるのです。

 

出エジプト記 4章

「人に口をつけたのはだれか。」(出エジプト記 4:11)             

                   

 エジプトで苦しんでいるイスラエルを救うために、主はモーセを召されましたが、モーセは尻込みしました。3章では、自分には力がない、イスラエルの前に立つほど深く主を知らない、と言って辞退しましたが(自分はふさわしくない)、この章では、イスラエルは主がモーセに現われられたことを信じないだろうと言って逃げようとしました(相手は難しい)。主は、杖を蛇に変えまた杖に戻すしるし、そして、手を懐に入れると腐った手になりまた入れると健全な手になるしるし、さらにナイルの水を血に変えるしるし、を行う力をモーセに与え、そのしるしを示せば彼らは信じる、と言って励まされました。蛇は人類を罪に誘いこんだサタン、腐った手とその回復は落ちぶれたイスラエルとその回復、ナイルはエジプトを示し、主はそのすべてを支配しておられることを示されたのです。それでも、モーセは、主の召しに応えるなら主のことをイスラエルにきちんと説明しなければならないが私は口の人ではない、と言って、身を引こうとしました(創造の不備)。主は、口を与えたのは誰かこのわたしではないか、と迫り、彼には雄弁な兄アロンがいるでないか、わたしがお前に示すことをお前がアロンに告げ、それをアロンが民に語ればよい、と言われました。遅疑逡巡するモーセを見、自分は主の召しに素直に応じるだろうか、何を口実に逃げようとするだろうか、と自問しました。しかし、主は、優しく、また激しく迫り、モーセは遂に召しに応じ、エジプトに出かけました。イスラエルも聞きました。主の御旨は必ず成ります。お前はどうか、と問われます。

出エジプト記 5章

 

「それでモーセは主のもとに戻り、そして言った。『主よ、なぜ、あなたはこの民をひどい目にあわせられるのですか。』」(出エジプト記 5:22)                   

 

 モーセとアロンは、イスラエルの長老たちに、主のみことばを伝え、それから、ファラオのところに行きました。このとき、彼らは、まだ恐れを持っていたようです。彼は、イスラエルを去らせ、荒野で主を礼拝させるように、と主が言われます、と語りましたが、ファラオに、主とは何者か、去らせはしない、と言われると、そうしないと主がイスラエルを打たれます,と弱々しく答えています。ファラオは、イスラエルに課した労働を強化する強硬策で応えました。それまでは藁(わら)を与えて煉瓦を作らせていたのに、藁を与えずしかも同量の煉瓦を作るように命じたのです。イスラエルの人夫がしらたちは、ファラオに、藁を与えず同量の煉瓦を作れと言うのは無茶です、と苦情を申し立てました。ファラオは、荒野に行って主にいけにえをささげさせてくれなどという身勝手な怠慢は許さない、さあ、すぐ行って働け、と荒々しく答えました。イスラエルのリーダーたちは、モーセとアロンに、あなたたちのおかげで私たちはファラオの憎しみを買った、主があなたたちをさばかれるように、と言いました。モーセとアロンは、主に従ったことによって、かえって苦境に陥りました。しかし、彼らは、そのとき、主のもとに戻り、祈りました。このことが、彼らを真の信仰の勇者に育て上げるための門を開いたのです。主を信じて歩みはじめるとき、かえって事態が悪化するように思われることが多くあります。しかし、それは私たちの信仰を励まし私たちを本当に主に従う者に育ててくださる道なのです。

 

創世記 42章

「神は、私たちにいったい何と言うことをなさったのだろう。」(創世記 42:28)            

                     

 ヨセフがエジプトで飢饉対策を講じたので、飢饉がきたとき、エジプトには食料が十分ありました。周辺の国々からも多くの人々が食料を求めてエジプトにやってきました。ヤコブは、子どもたちにエジプトへ行って食料を手に入れてくるように命じました。子どもたちは、他の人々に混じってエジプトに出かけました。そして、エジプトで、穀物配給の采配を振るっていたヨセフの前にひれ伏しました。前にヨセフが見た夢が実現しています(37:7)。背後に主の御手が働いていたことがうかがえます。そのことにまだ誰も気づいていませんでしたが、主は徐々にそのことに気づくように導かれました。ヨセフはひれ伏した兄たちを見て、彼らをスパイだと言い立てました。そして、兄たちが、互いに話しあい、自分たちはヨセフの苦しみ聞かなかったことの罰を受けているのだと言うのを聞き、隠れて泣きました。主は、兄たちに罪の自覚を生じさせ、ヨセフに赦しと憐れみの心を芽生えさせられたのです。ヨセフは、シメオン一人を人質として残し、他の兄弟たちに食料を持ち帰らせ、弟のベニヤミンを連れてきたらシメオンを釈放すると言いました。彼らの穀物料は密かに返しておきました。それに気づいた兄たちは、「神は、私たちにいったい何と言うことをなさったのだろう。」といぶかり恐れました。彼らは出来事の背後に神を意識し始めたのです。主の備えでした。間もなく、彼らは全き悔改めに導かれ、主の救いを経験することになります。主は、私たちのためにも、全き救いを備えてくださっていることを、私は信じます。

 

創世記 43章

「全能の神がその方に、あなたがたを憐れませてくださるように。・・・私も、失うときには、失うのだ。」                     (創世記 43:14)

 

 ヤコブの子どもたちがエジプトから持ち帰った食料が底をつきました。ヤコブはもう一度エジプトへ行って食料を得てくるようにと言いました。そのときユダが、“ベニヤミンを連れて行かなくては食料を手にいれることはできない、ベニヤミンを自分に任せて欲しい、私自身が彼の保証となる”と言いました。先に長男のルベンが、“私は注意したのにあなた方は聞かなかった”(42:22)と後ろ向きの責任転嫁の姿勢を示し、“子どものいのちを保証とするからベニヤミンを任せてほしい”と軽々しく申し出たときは、誰も耳を貸しませんでしたが、ユダの真実な申し出をヤコブは受け入れ、ベニヤミンを彼に委ねました。しかしヤコブはヤコブでした。先に返されていた銀を返し、新しい銀を加え、多くの贈り物を用意するなど、エジプトの管理者の好意を得るための手立てを講じました。しかしこのときのヤコブは信仰者として成長していました。「全能の神がその方に、あなたがたを憐れませてくださるように。そしてもう一人の兄弟とベニヤミンとをあなたがたに返してくださるように。」と主に祈り、「私も、失うときには、失うのだ。」と主にすべてをお委ねする信仰の姿勢を示しました。主はどんなに喜ばれたことでしょうか。しかし彼らはまだ主の救いの全貌がわからず、ヨセフの家で示される好意に戸惑いながら、不安のうちを歩みました。しかし救いはすでに始まっていたのです。私たちの救いもそのように備えられています。そう私は信じます。

 

創世記 44章

「どうか今、このしもべを、あの子の代わりに、あなたさまの奴隷としてとどめ、あの子を兄弟たちと帰らせてください。」                     (創世記 44:33)

 

 ヨセフは、兄弟たちに食料を与え、ひそかに銀を返し、ベニヤミンの袋の中に銀の杯を隠し入れて、送り出しました。それから家の管理者を送って、彼らが銀の杯を盗んだと詰問させました。兄たちを接待した時、彼らがすっかり変っているのを見て喜びながらも、もう一押し確かめたかったのでしょうか。ベニヤミンの袋から銀の杯が見つかったとき、ヤコブの子らは、悲嘆にくれ、ヨセフの前に帰りました。そして、ベニヤミンを奴隷として残し他の者は帰ってよい、と言われたとき、ユダが立ち上がりました。彼は、大言壮語や軽率な誓いを用いず、ただありのままの事実をそのまま述べ、自分たちの罪を告白し、父ヤコブは最愛の妻ラケルの残したただ一人の子ベニヤミンを愛していることを伝え、自分が奴隷として残るから、べニヤミンを父のもとに帰らせてほしい、と願いました。先に、彼らがヨセフを奴隷に売ったことの罪を認め始めたとき、ルベンは、私は注意したのにお前たちは聞かなかった、自分には責任はない、と兄弟たちに責任を転嫁し(42:22)、また、ベニヤミンを連れて行かないようにと言い張るヤコブに、もしベニヤミンを連れ戻せなかったら私の二人の子を殺してもよいからベニヤミンを私に任せてくれと申し出ましたが(42:37)、そのときには誰も耳を貸しませんでした。ユダのヨセフに語ったことばは真実で、自分自身をささげきる姿勢がはっきり示されています。捨て身の真実が聞く者の心を打ち、事態の展開を招くのです。

 

 

創世記 45章

「神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです。」

                      (創世記 45:5)

 

 ヨセフは、ユダの真実なことばを聞いて感動し、すべての人を部屋から出させ、ヨセフ一人で、兄弟たちに、自分がヨセフであることを明かしました。兄弟たちは驚き、声も出ませんでした。ヨセフは、兄弟たちに、まず、“私はあなたがたがエジプトに売った弟ヨセフだが、そのことで心を痛めなくてもよい”と言いました。彼らの罪を赦していたのです。ヨセフはこの出来事を通して、すべてが主の御手の中にあることを認め、主の目で物事を見ることができるようになり、ひとを赦せるようになっていたのです。そして、自分がエジプトに売られたのは、飢饉のとき、イスラエルをエジプトに招いて彼らを生き延びさせるてめであった、と自分の受けた苦難の意味を悟りました。私たちが、自分の経験する事柄一つ一つについて、主にあってその意味を悟ることができたら、どんなに幸いなことでしょう。さらに、主の目で物事を見るようになるときの第三の祝福があります。自分に与えられている使命に目覚めることです。ヨセフは、飢饉がなお続くから、イスラエルの一族をエジプトに招いて生き延びさせることが自分の使命だと受け止め、兄たちに、家に帰って、父ヤコブにヨセフが生きていることを知らせ、飢饉がなお続くから、すべてのイスラエルをエジプトに連れて来るように、と告げました。兄たちはそうしました。彼らを呼び寄せることをパロの全家も喜びました。ヨセフの日頃の証が良かったからでしょう。日常の生活を通しての証の大切さを思います。

 

創世記 46章

「神は夜の幻の中でイスラエルに、『ヤコブよ、ヤコブよ。』と言って呼ばれた。彼は答えた。『はい。ここにいます。』」(創世記 46:2)           

 

 ヤコブは、死んだと思っていたヨセフが生きていて、エジプトで力を得ていると聞き、彼に会おうとしてエジプトへ向けて旅立ちました。ベエル・シェバまで来たとき、父イサクの神にいけにえをささげました。祖父アブラハムが飢饉のとき、エジプトに下って、妻サラを妹だと偽る失敗をしたこと(12:10以下)、また父イサクも飢饉のときエジプトに下ろうとして主にとどめられ、アビメレクのところで妻リベカを妹と偽る失敗を犯し、べエル・シェバまで来て、そこで主の祝福を回復されたことを思い出し(26:23-25)、感謝とともに不安を覚えたのでしょうか。主は、夜の幻の中で、ヤコブに、「わたしは神、あなたの父の神である。エジプトに下ることを恐れるな。」と語りかけられ、エジプトで彼を大いなる国民とすると約束し、「わたし自身があなたといっしょにエジプトに下り、また、わたし自身が必ずあなたを導き上る。ヨセフの手はあなたの目を閉じてくれるであろう。」と言われました。主のみことばをいただき、主の御導きに従って歩むほど確かなことはなく、主が共に歩んでくださることほど大きな祝福はありません。ヤコブは、おことばどおり、エジプトで幸いな生涯最後の時期を過ごし、遺体はカナンのマクペラにあった先祖伝来の墓に葬られました(50:13)。この章の後半部分では、ヤコブの家族70人がエジプトに下り、ゴシェンの地で彼ら独自の共同体を形成できるようにヨセフが取り計らったいきさつが記されています。

 

 

創世記 47章

「私が先祖たちと共に眠りについたなら、私をエジプトから運び出して、先祖たちの墓に葬ってくれ。」                     (創世記 47:30)

 

 ヤコブの一行がひとまずゴシェンの地に落ち着いた後、ヨセフは、兄弟のうちの5人を連れて、パロの前に出て、事の次第を報告しました。パロは、ヨセフの兄弟たちに、彼らの職業は何かとたずねました。彼らは、前もって聞いていたヨセフの助言に従い、また正直に、羊を飼うことを生業としていると答え、牧草地の豊富なゴシェンの地に住むことを許して欲しいと願いました。ゴシェンの地とは、今のスエズに近い肥沃な地ですが、カナンに最も近く、王宮から遠くはないが、政治・文化の中心からは離れた地域だったようです。ヨセフは、イスラエルがエジプト社会に呑み込まれ、主の民としての独自性を失わないように配慮したのではないか、と思われます。その後、ヨセフは、父ヤコブをパロに引き合わせました。ヤコブは高齢でしたが、父祖の年月には及ばないと謙虚に答えました。こうして、ヤコブの一族は、ゴシェンの地に住み、ラメセスを所有としました。その後も厳しい飢饉が続きましたが、ヨセフは、パロの王権を強化し、比較的安い税で国民の生活を支え、子どもたちの生活も支え、種を用意して将来への投資を進めるなど、次の世代にまで配慮した国造りを進めました。その後、ヤコブは、生涯の最後の時を迎えたのですが、彼は、ヨセフを呼び寄せ、自分をエジプトの地に葬らず、カナンにある先祖伝来の墓に葬ってくれるように依頼しました。彼は、彼の先祖同様、今の世の栄華ではなく、永遠の都を待ち望んでいたのです(ヘブル11:16)。

 

創世記 48章

「私の先祖アブラハムとイサクがその御前に歩んだ神。きょうのこの日まで、ずっと私の羊飼いであられた神。」                     (創世記 48:15)

 

 ヤコブは齢が進み病気になりました。ヨセフはすぐに二人の子を連れてヤコブを訪ねました。ヤコブは、身を起こし、床に座って、ヨセフに語りました。全能の神、主が、カナンのルズで彼に現われ、彼に多くの子を与え、カナンの地を彼の子孫に与える、と言われたことを語り、ヨセフの二人の子を、その約束を受け継ぐべきヤコブの子孫とする、と宣言しました。神の祝福は、私たちの努力によって獲得するものではなく、神の約束よって与えられるものなのです。ヤコブは、ラケルを思い出して、エフラタに向かう道の傍らでの彼女との別れを悲しみました。彼の情の深さを思います。それから、ヤコブは、ヨセフの二人の息子に手をおいて彼らを祝福しました。実際はマナセが兄でエフライムは弟でしたが、ヤコブは、エフライムを兄の先に立てました。その後の歴史でも、エフライム部族がイスラエルの指導的な部族となりました。彼らを祝福したとき、ヤコブは、「私の先祖アブラハムとイサクがその御前に歩んだ神。きょうのこの日まで、ずっと私の羊飼いであられた神。すべての災いから私を贖われた御使い。」と、神が先祖伝来の歴史の神であり、しかも自分を守り育ててくださる個人的に親密な神だ、と言いました。神をこのように告白することのできる人は幸いです。その上で、その神が、彼の子孫を祝福し、増やし、その地を得させてくださるようにと祈りました。彼が生涯の終わりに目を向けたのは、自分の偉業ではなく、ただ神の御真実だったのです。

 

 

創世記 35章

 

「ヤコブがパダン・アラムから帰って来たとき、神は再び彼に現れ、彼を祝福された。」

                      (創世記 35:9)

 

 シメオンとレビがシェケムを欺き町を略奪したとき、ヤコブは、困ったことをしてくれた、私たちを憎まれ者にしてしまった、と苦情を言いましたが、そのヤコブに主は、「立ってベテルに上り、・・・あなたが兄エサウから逃れたとき、あなたに現れた神のために祭壇を築きなさい」と語られました。悔い改めて、信仰の原点に立ち返り、新しく出直せ、と言われたのです。私たちも、罪を犯したとき、失敗したとき、また行き詰ったときは、あれこれ取り繕うのでなく、直ぐに悔い改め、主の御許に立ち返り、新しく出直すことが大切だ、と示されます。ヤコブは家族を皆あつめ、すべての偶像を捨てさせ、身をきよめ、べテルに上りました。主は彼らを守り、周りの人々が彼らの後を追って彼らを打つのを止められました。ヤコブはパダン・アラムからまっすぐべテルに上るべきだったのに、シェケムに止まり、罪を犯し、その地の人々との関係を損ない、大きな負の財産を抱え込んでしまったのです。それでも彼がベテルへ行ったとき、主は彼に現われ、先に約束されていた祝福を再確認されました。主は悔い改める心を軽しめられることはないのです(詩篇51:17)。その後、彼の愛していたラケルは死に、ラケルの最後の子ベニヤミンが生まれました。そして、父イサクが死に、兄エサウと一緒に彼を葬りました。一つの時代は去り次の時代が始まったのです。その時代も罪にまといつかれた時代でした。しかし、主はそういう罪人をも救いに導く深い愛と大きな御力とを示してくださるのです。

 

創世記 36章

 

「これはエサウ、すなわちエドムの歴史である。」  (創世記 36:1)              

                      

 35章の終わりでイサクが死に、イサクの歴史が終わりました。イサクの後をついだのはヤコブでしたが、ヤコブの歴史を語る前に兄エサウの歴史が短く語られます。エサウはヤコブの兄でしたが、信仰の遺産を軽く見、自分の肉の願いを優先して、アブラハム、イサクと続いた信仰の系譜から外れました。自分から離れて行ったのです(6節)。アブラハムは、周りにいるカナン人たちの主を無視する生き方を見て、息子イサクの妻を彼らの中から求めてはならないと思い、篤く信頼するしもべを故郷に送り、主を信じる娘の中にイサクの妻を求めさせました(24章)。ヤコブもパダン・アラムから主を信じる妻を求めました(28,29章)。しかし、エサウはカナンの娘を、しかも二人も妻にし、彼女たちが両親の気にいらないのを知ると、さらにイシュマエルの娘を妻に迎えました。エサウの妻の名を記した聖書のほかの記事を見ると(26:34,28:9)、別の名が記されていますから、3人の妻たちがそれぞれ別の名を持っていたのでなければ、もっと多くの妻がいたことになります。事実はどうであったか確かなことはわかりませんが、彼が自分の欲望や都合を優先させる生き方をしていたことがうかがえます。そこに彼の問題があったのです。「主を第一に生きる者としてください」と祈りました。しかし、エサウの子孫も、そして彼らと何らかの関わりを持った者たちにも、主が目を留め、名前を記しておられます。主はどんな者をも愛し、目を留めてくださっているのです。主に立ち返るなら救いの手を伸べてくださいます。

創世記 37章

 

「今こそ彼を殺し、どこかの穴に投げ込んで、・・・そして、あれの夢がどうなるかを見ようではないか。」        (創世記 37:20)                   

                     

 「これはヤコブの歴史である。」と書き出されていますが、実際にはヤコブの子どもたちのことが記録されています。人の人生の価値はどんな後継者を残すかによるのです。子どもたちのために祈ることの大切さを思います。ヤコブには12人の子がいましたが、ヤコブはヨセフを特別に愛しました。母リベカの偏愛を受けて育ったヤコブは(25:28)、自分もヨセフを偏愛したのです。それは他の子どもたち、特に、低く見られてきた女奴隷の子たちの激しい憎しみを買いました。多くの子を与えられた親に対する警告として聞きたいと思います。反面、父の愛を独占するように育ったヨセフには、自分も愛されたいのにヨセフが父の愛を独占しているのを見る兄弟たちの寂しさ、ねたみ、怒りがわかりませんでした。自分が高められ、家族みなの上に立つことになるという夢を、得意げに話しました。それが兄たちの怒りを燃えたたせました。幸せに育った者は恵まれなかった人たちの痛みを知る感受性が与えられるよう祈る必要があります。ヨセフは、父から命じられると、何の恐れもなく、兄たちのところに行きました。彼を見た兄たちの中には、彼を殺そうと言う者もいましたが、正妻レアの子達は、比較的安定した心理状態でおれたのか、長男のルベンは彼を助けようとし、ユダは殺さないで奴隷に売ることを提案しました。結局、ヨセフはイシュマエル人の隊商に売られ、エジプト王パロの侍従長の奴隷とされました。不思議な主の御業実現への第一の備えでした。

 

創世記 38章

 

「そこで彼はそれを与えて、彼女のところにはいった。こうしてタマルは彼によってみごもった。」

                    (創世記 38:18)

 

 出だしの「そのころ」というのは、ヤコブの兄弟たちが共謀して弟ヨセフを売り飛ばし、ヤコブはヨセフが死んだと思って悲しんだ出来事のあった頃のことです。この頃、ヤコブの家は、内的に荒れていました。ヤコブの長男ルベンは父のそばめビルハと通じ、それに続くレビとシメオンは謀略を用いてシェケムの男を皆殺しにする暴虐でヤコブを嘆かせました。ユダも、自分の欲望からか、生活上の便を考えてか、主が喜ばれないカナン人の女と結婚しました。子どもができ、長男エルの嫁にタマルを迎えましたが、エルは主を怒らせたので死に、ユダは弟オナンに兄嫁タマルを妻にし、子を得させようとしました。兄が死んだら弟が兄嫁と結婚しその子に兄の家を継がせるというのがその頃の定めでした(申25:5-)。しかし、オナンはそのつとめを果たさず、彼も死にました。ユダは3男シェラを惜しんで、タマルを実家に帰し、そのままにしていました。タマルは、遊女になりすまし、ユダによってペレツとゼラフを得ました。こんな家族を主は選び出し、愛し、主の民として育てられたのです。ペレツの子孫としてイエスさまがおいでになりました(マタイ1:3)。何という愛でしょうか。同じ愛が私たちにも注がれていることを思い感動します。ユダがルベン、レビ、シメオンと違うところは、罪が示されたとき、彼は、罪を認め、悔改めたことです。しかし、それが彼をその後、イスラエルのリーダーとする基礎となったのです。悔改めの大切さを思います。

創世記 39章

 

「しかし、主はヨセフとともにおられ、彼に恵みを施し、監獄の長の心にかなうようにされた。」

                     (創世記 39:21)

 

 創世記の記事の場面はカナンからエジプトに移ります。兄たちに奴隷として売られたヨセフはエジプトで王パロの侍従長ポテイファルに買われ、彼の奴隷となりました。父ヤコブの特別扱いの愛を受けていたヨセフが一転して奴隷生活を送らなくてはならなくなったのですから、落ち込んだりやけになるのが当たり前だと思われるのに、不思議なことに、彼は、そこでも、幸福な生活を送り、すぐに頭角を現わして、主人の信頼を一身に集め、家のことはすべて任せられるまでになりました。どうしてこんな生活ができたのかと思われますが、聖書は、それを「主がともにおられた」からだと言います。「主がともにおられた」と何度も繰り返されています。そうとしか言いようのないほどの不思議な成り行きだったのです。それだけでなく、彼は体格も立派で美男子だったので、事もあろうに、主人の妻に見そめられ、誘惑されました。彼が断ると、今度は逆に彼が自分を手篭めにしようとしたと主人の妻が言い立て、怒った主人が彼を監獄に入れました。殺されても不思議でないのに、投獄されたのです。そして、監獄の中でも、「主がともにおられ」て、ヨセフは、監獄の長の好意と信頼を得、監獄のことすべてを任せられるようになりました。後で明らかになるように、これらすべては彼がイスラエルに救いをもたらすための備えでした。不幸に見える苦難も大きな祝福への備えだったのです。目に見える禍福ではなく、主とともに歩むかどうかが問題なのです。

 

創世記 40章

「それを解き明かすことは、神のなさることではありませんか。さあ、それを私に話してください。」                     (創世記 40:8)

 

 ヨセフは、投獄されましたが、監獄長の好意を得て牢のすべての管理を任せられていました。そこへ、エジプト王の献酌官長と調理官長の二人が投獄されてきました。侍従長はヨセフに二人の世話を命じました。彼は、二人が夢を見、その意味がわからずいらいらしているのを知って、「それを解き明かすことは、神のなさることではありませんか。さあ、それを私に話してください。」と言いました。“夢を解くのは人のできることではないが、神にはできる、神に聞くから私に話してくれるように”と言ったのです。人にはできないということを謙虚に認めつつ、主にたいする篤い信頼を示したのです。お前は謙遜と信頼をもって生きているか、と問われているのを覚えます。ヨセフの勧めを聞いて、まず献酌官長が自分の見た夢を告げ、三日目に釈放されて復職するという、ヨセフの明快な確信に満ちた解き明かしを聞きました。ヨセフは、その献酌官長に牢から出たら自分のことを思い出して釈放されるようにしてほしい、と頼みました。調理官長も自分の見た夢を告げましたが、それは三日目に処刑されるという夢でした。三日目にヨセフが解き明かしたとおりになりました。主が働いておられたのです。ところが、復職した献酌官長はヨセフのことを忘れてしまいました。ヨセフはがっかりしたことでしょうが、それがもっと大きな祝福への道を開くことになるのです。目先の幸不幸に動揺せず、主のより善き備えを信じる信仰を与えてください、と祈りました。

創世記 28章

 

「見よ。主が彼のかたわらに立っておられた。そして、仰せられた。」 (創世記 28:13)           

                     

 イサクとリベカは率直に話し合う関係ではなかったようです。リベカは、エサウの怒りからヤコブを救い出すという本音を隠して、“ヤコブまでこの地の娘を娶ればやりきれない、実家のラバンのところへやって彼の娘と結婚させよう”とイサクに持ちかけました。イサクは、自分の好みでエサウに祝福を与えようとしたのに思いがけない成り行きでヤコブを祝福してしまったとき、主の介入を感じ、悔改めて、主第一に方向転換していたのでしょう、ヤコブをパダン・アラムに送り出し、ラバンの娘を妻にするように命じ、主の祝福を祈って、ヤコブを送り出しました。エサウは、自分が妻にしたヘテ人の娘がイサクの気に入らないのだと察し、イシュマエルの娘を妻にしました。自分で何とかしようとする動きでした。主に目を向けて自分中心の生き方から主第一の歩みに切り換えたイサクと、あくまでも自分の才覚で事に当ろうとしたエサウの対比が心に留まりました。お前はどうか、と問われているのを覚えます。ヤコブが旅立ったとき、主が彼に現われ、彼を祝福し、“主がこの地をお前に与え、お前の子孫は増え広がり、すべての民の祝福となる、主は必ずお前をこの地に連れ戻す、主が約束されたことを成し遂げるまで主は決してお前を捨てない”と言われました。ヤコブは、感謝し、そこに石の柱を立て、主を礼拝しました。人間的に見れば“嫌な奴”ヤコブも、主の現われに接したとき、信仰をもって主に応えたのです。主の恵みの賜物と言うほかありません。

 

創世記 29章

 

「あなたは私に何ということをしたのですか。私はラケルのために、あなたに仕えたのはではありませんか。なぜ、私をだましたのですか。」 (創世記 29:25)               

                     

 ヤコブは、イサクをだまし、エサウへの祝福を奪い、彼の報復を避けて、母の兄ラバンのもとへ逃げました。その途上、主はヤコブに現われ、主が彼とともに歩み、彼を祝福し、彼の子孫を増し加え、彼をカナンの地に連れ戻す、と言われました。目的地に近づくと、羊を飼っていたラバンの娘ラケルと出会い、さらにラバンの歓迎を受けるように導かれました。しかし、ラバンは有能なヤコブを利用することを考えたのでしょう、報酬を与えるから彼に仕えて働くように、と言いました。ヤコブは、ラケルを愛していましたので、彼女のために喜んで7年間働きました。7年が終わったとき、ラケルを妻としたいと申し出ました。ラバンは応じ、盛大な結婚式の祝いの席を用意してくれましたが、与えられたのは姉のレアでした。明かりのない砂漠のテントの中でベールをかぶっていたので見分けがつけられなかったのでしょうか、朝になってラケルでなくレアだと気づいたヤコブは怒り、ラバンに激しく抗議しましたが、ラバンは、その地方の習慣だから姉を先に出したので、妹のためにもう7年働け、と答えました。ラバンは有能なヤコブを手放したくなかったのでしょう。ラバンに騙されて、もう7年、余分にラバンのために働かされることになったのですが、この出来事を通して、彼は、イサクとエサウを欺いた自分の罪に気づかされたのではないでしょうか。真の悔改め、救いへの道には、こういう主の備えが、幾つも備えられているものです。それに気づかせ、悔い改めと信仰に導いてください、と祈りました。

 

創世記 30章

 

「神はラケルを覚えておられた。」                 (創世記 30:22)

 

 ヤコブは、ラバンに欺かれたからとはいえ、二人の妻を迎えたので、家庭内にはいざこざが絶えませんでした。レアは次々と子を産みましたが、それは夫の愛を得るための戦いでした。ラケルは子が生まれなかったので、ヤコブに、子どもを与えよ、と迫り、彼の怒りを買いました。それで、彼女は、女奴隷ビルハを夫の許に送って子を得ました。それに対抗してレアも女奴隷ジルパによって子を得ました。レアの子ルベン が恋なすびを持ちかえると、ラケルがそれを求め、それと引き換えにヤコブがレアのところに入ることを認めます。ヤコブは一家の主人でありながら、二人の女の戦いの道具とされてしまっています。一人の夫と一人の妻との結婚のもたらす親密な交わりがどんなに大きな恵みであるかを思わされます。そういう中で、主は、子を得られず悲しんでいたラケルを顧みてくださいました。彼女の言動からみて、彼女に何か良いところがあったからではなくただ主の憐れみによることだ、と分かります。私も、何も主に恵みを要求することのできるものを持ち合わせていないにも関わらずただ愛ゆえに主が私を顧みてくださったことを覚えて感謝します。ヤコブは妻たちの間の不和に悩まされただけでなく、ラバンにも欺かれ利用されるだけの苦しみを経験していました。イサクとエサウを欺いた罪の深さと彼らの痛みを知るための主の備えだったのではないでしょうか。主は彼を顧み、彼のゆえにラバンを富ませ、ラバンの策略にも関わらず、ヤコブを富ませられました。主は祝福すると約束されたことに対してご真実な御方です。

創世記 31章

 

「もし、私の父の神、アブラハムの神、イサクの恐れる方が、私についておられなかったなら、・・・。」

                     (創世記 31:42)

 

 ヤコブは、もともとは、イサクを欺いてエサウの祝福を奪い取るような人でしたが、このときは、ラバンの息子たちがヤコブは父のものを奪ったと言うのを聞いても、ラバンの態度が以前のようではなくなっているのに気づいても動かず、主のみことばを聞いて初めて動き、レアとラケルを呼び寄せ、故郷に帰ることを伝えました。主が自分の家畜を増やしてくださったことを証し、主のみことばがあったから、帰ることにした、と語りました。彼は、自分の利益を図り、自分で策略を弄する肉の人から、主のみことばを聞いて行動する信仰の人に変っていたのです。それでもなお古い肉の人の要素は残っていました。神の守りを語りながら、自分がどんなに正しく熱心に歩んだかを強く主張しました。レアとラケルはヤコブの信仰に導かれてはいましたが、ヤコブ以上に肉の人でした。父の家には自分たちの分け前がない、今ある財産はすべて自分のものだ、と言って、父を離れてヤコブと共に行くことを選び、父の偶像を盗みました。「自分のもの」にとらわれ、偶像に心を寄せる肉の人でした。こんな状態でも、主はお約束にご真実な御方で、ヤコブとともにいると語ってくださり、ラバンの手からヤコブを守ってくださいました。ラバンは、ヤコブが黙って立ち去ったことを怒って彼の後を追いましたが、そのラバンに主が現われ、ヤコブに手を出さないように警告されました。主は主の民がどんなに未完成でも彼らを守ってくださるのです。私たちも同じです。感謝です。

 

創世記 32章

 

「私は顔と顔を合わせて神を見たのに、私はいのちを救われた。」 (創世記 32:30)            

                    

 ヤコブには、兄エサウに対する昔のしうちの後ろめたさから、恐れがありました。そのヤコブに主の使いが現われ、ヤコブは、信仰を奮い立たせられて、エサウに使いを送りました。しかし、エサウが400人を率いてやって来ると聞いて、また恐れました。それで、自分のキャンプを二つに分け、一方が襲われても他方は逃げ延びられるように備え、それから、主に祈りました。主が祝福を約束し、子孫を増し加えると約束されたことを繰り返し訴え、エサウの手から救ってください、と懇願しました。そして、莫大な贈り物を、何隊にも分けて送り出し、各隊のリーダーたちに、「これはヤコブからエサウへの贈り物です。ヤコブは後から来ます」と言わせました。信じているけれども自分でも何とかしなければと焦っているヤコブの姿が心に迫ります。ヤコブは、家族も持ち物も皆ヤボクの渡しを渡らせ、その後ひとり残って、一人の人と格闘しました。何とかして神の祝福を得るための神と自分自身との格闘だったと思われます。神の御手にすべてを委ねる霊的な戦いでした。なかなか委ねられませんでした。しかし腰の骨のつがいをはずされて、相手に身をまかせるよりほかなくなったとき、彼は、自分はひとを押しのけて自分を主張する者だったと認め、神に身をまかせました。そのとき、イスラエル(神に勝つ者)という新しい名をいただき、神の祝福を受けました。そして、「私は顔と顔を合わせて神を見たのに、私はいのちを救われた」と言いました。神と向きあい、神に身を任せ、神と、そして自分自身に出会ったことの告白でした。

創世記 33章

 

「彼はそこに祭壇を築き、それをエル・エロヘ・イスラエルと呼んだ。」(創世記 33:20)           

                     

 ヤコブは、激しい霊的格闘を経て、神にすべてを委ねたとき、かつてひどいことをして傷つけ怒りを招いたエサウにも裸で身を任せる姿勢で接することができました。それがエサウの心を打ち、真の和解ができたのでしょう。それでも、ヤコブもエサウもその本性は変わっていなかったようです。ヤコブはエサウの気を引くために莫大な贈り物を用意し、万一の危険を考えて、妻たちと子どもたちをも、四つの集団に分けてエサウに挨拶させました。エサウは、会うとすぐ贈り物のことを持ち出しました。信仰をもっても本性が変えられきよめられるまでにはずいぶん時間がかかるものです。そのためには、絶えず、主を見上げ、主のみことばを聞き、「みことば聴従」に励むことが必要です。エサウは、ヤコブとの同道を提案しましたが、ヤコブは、私たちは、長旅で疲れている家族や幼い子どもたち、数多くの弱い家畜を抱えていてゆっくりとしか進めません、狩猟で鍛えられているエサウ一行の健脚の方々との同行は難しいでしょう、どうぞお先に、そのうちあなたの本拠地セイルへ参ります、と答えて、二人は分かれました。後に父イサクの葬儀は一緒にしていますから(35:29)、二人の和解は本物だったのでしょうが、生活は別々になりました。エサウは昔のまま変わらないエサウだったようですが、ヤコブは、主の民の先祖と変えられていきました。それは彼が行く先々で祭壇を築いたところにあらわれているように、いつも主を仰ぎ、主のみことばを聞いて歩んだからです。

 

創世記 34章

 

「割礼を受けていない者に私たちの妹をやるような、そんなことは、わたしたちにはできません。」

                     (創世記 34:14)

 

 ヤコブは、まず彼の信仰の原点であるベテルに行くべきだったのですが、多分、経済的利益にひかれてのことでしょう、その地方の交易の中心だったシェケムの近くに住みました。ヤコブの娘デイナは、豊かで華やかな町に好奇心をもち、その町の娘たちのところへ行きました。族長ハモルの息子シェケムが彼女を見て、これを捕らえ、辱めました。その地域では、若い男が気に入った若い娘と性関係を結ぶのは、普通だったのでしょう。地域の風俗習慣を知らずに好奇心にひかれて行動する危険を思います。箴言には、好奇心に引かれて遊女に近づく若者の愚かさが指摘されています(箴言7:6-23)。しかし、ハモルもシェケムも、主を知らぬ異邦人だったのに、紳士的でした。正式に結婚を申しこみ、多くの贈り物も用意しました。しかし、ヤコブの子らは、「割礼を受けていない者に私たちの妹をやるような、そんなことことは、私たちにはできません」と答え、彼らが割礼を受けるなら、同意しても良い、と答えました。そして、その地の男子が皆、割礼を受け、動けなくなったとき、レビとシメオンが彼らを襲って皆殺しにしました。主の民だという自分たちの正しさを守るためということでしょうが、主のみこころを求めた気配はありません。そのとき主はヤコブにベテルへ行けと言われました。悔改めて信仰の原点に立ち返れ、と言われたのです(35:1)。信仰的正当性を主張するよりも、まず、主のみこころを求めることが大切だ、と示されます。

創世記 21章

 

「その所で永遠の神、主の名によって祈った。」 (創世記 21:33)             

 

 アブラハムが百歳になったとき、サラに男の子が生まれました。主が約束されたとおりでした。アブラハムは、主に言われていた通り、彼にイサクという名をつけました。イサクとは「笑う」という意味ですが、彼の誕生は、主がアブラハムとサラに笑顔を向けられ、彼らが喜びの笑いに包まれた出来事でした。しかし、その1年まえ、イサクの誕生の予告を聞いて、まさかと笑ったサラの笑いもその陰に隠れていました。そして、イサクが乳離れするようになったとき、イシュマエルがイサクを嘲り笑った笑いも潜んでいました。イシュマエルがイサクを「からかった」と訳されていることばは「笑う」という意味を含んでいるそうです。イシュマエルは、それまで自分がアブラハムの唯一の子であったのに、正当な後継者としてイサクが生まれてきたことが面白くなくて、悪意をもってあざ笑ったのでしょう。サラがそれを見て、ハガルとイシュマエルを追い出すように、アブラハムに求めました。ハガルに対するねたみや、イサク可愛さあまりの過激な行動かもしれませんが、イサクがアブラハムの後継者となることをはっきりさせるために、主はそれを用いられたようです。アブラハムは悩みましたが、結局そうしました。しかし、主は、追い出されたハガルとイシュマエルにも手を伸べ、彼から大きな一つの国民が生まれました。また、アブラハムの歩みは主が共に歩んでくださる歩みであることがこの世の人々にも明らかに認められ、アビメレクが友好を求めてきました。アブラハムは主を礼拝し、祈りました。すばらしい模範です。

 

創世記 22章

 

「全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」(創世記 22:2)               

 

 アブラハムは、主から、“あなたから子が生まれ、あなたの子孫によって地上のすべての人々が祝福を受ける”と約束をいただきましたが、イサクが生まれたのは彼が百歳、妻サラが90歳のときでした。イサクは彼らにとって大きな喜びであり何ものにも代え難い宝でした。そのイサクを全焼のいけにえとして主にささげるように、主はアブラハムに命じられました。アブラハムはどんな気持ちだったでしょうか。しかし、聖書はそのことについて何も語っていません。ただアブラハムが主のみことばに従ってイサクをささげたことだけ記しています。しぶしぶか喜んでか、そんなことはどうでもよい、ただ従うか従わないかだけが問題なのだ、と示されます。アブラハムがみことばに従ってイサクをささげたとき、主は、主の使いを通して、「今、わたしはあなたが神を恐れることが良くわかった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにささげた。」と仰いました。彼の信仰を賞賛し、イサクに代わるいけにえを与え、アブラハムを祝福し、彼の子孫によって地のすべての人々を祝福すると約束されました。主を第一にする姿勢が主との親しい交わりを育てるのです。このことは、神さまが御ひとり子イエスさまを私たちに与えてくださった愛を指し示しています。私も主を第一にします、と祈りました。親が子を自分のものとせず主にささげる子離れが健全な親子関係を育てるのも配偶者を自分のものでなく主のものとして見ることが親密な夫婦関係を育てるのも、このアブラハムの経験と重なるのではないでしょうか。

創世記 23章

 

「こうして、この畑地と、その中にあるほら穴は、ヘテ人たちから離れてアブラハムの私有の墓地として彼の所有となった。」  (創世記 23:20)                

 

 サラは、アブラハムの妻として、彼の信仰の歩みを助け、跡取りイサクを生んで37年、生き、127歳になったとき、ヘブロンで、死にました。アブラハムは嘆き、泣きましたが、起き上がったとき、その地の住民であったヘテ人たちに、サラのために墓地を売ってくれるように、申し出ました。ヘテ人たちは、自由に使えと言ってくれました。借地として使えばよいと言ったわけです。しかし、アブラハムはエフロン所有のマクペラのほら穴を売って欲しいと言いました。アブラハムは、カナンの全地を与えると主から約束をいただいていました(創世記17:8)。しかし、現実には、足の踏むところだけの土地さえ所有していませんでした。彼は、カナンの全地を与えられることを信じ、永遠の都を待ち望みつつ、この地上では旅人であることを告白する歩みを続けていました(ヘブル11:13)。しかし、今、サラの死を前にし、カナンの地を与えられるという信仰のくさびとして、サラの墓地を手に入れたのです。私たちも、イエスさまを信じて救われたことを確信しました。しかし、そのことを心のうちに秘めておくのではなく、信仰の告白として、洗礼を受けます。そのとき、私たちは、もはや、自分のためではなく、主のために生きるものだということを、自分も確信し、他の人々にも明らかに示します。人は心に信じて神に善しと認めてもらい、口で告白して自ら救いの確証を得、人々にたいして証をたてることができるのです(ローマ10:10)。

 

創世記 24章

 

「主は私の主人の兄弟の娘を、主人の息子にめとるために、私を正しい道に導いてくださったのです。」(創世記 24:48)                

 

 アブラハムは年を取って老人になっていました。跡取りのイサクも成人していましたが、まだ独身でした。主の約束が実現し多くの子孫が与えられるためには、イサクが妻を得、子をもうけなければなりません。アブラハムは、イサクにふさわしい妻を得させたいと思いました。彼はカルデヤのウルを出て、カナンまで来たとき、主が彼を祝福し、彼の子孫によって世界のすべての人に祝福をもたらし、カナンの地を彼の子孫に与えるという約束をいただいたことを思ったのでしょう、主を知らないカナン人の中からではなく、主を信じる娘をイサクの妻とするように、いちばん信頼していたしもべを自分の故郷に送り、イサクの妻を求めさせました。しもべは、アラム・ナハライムまで行き、そこで水を汲みに来る娘の中で、彼に水を飲ませ、らくだにも水を飲ませてくれる娘が主の備えてくださっている娘、イサクの妻に迎えるべき娘だとしますと主に祈って、待ちました。主のお答えが自分にわかるように求めて祈ることの大切さを思います。すると、アブラハムの兄弟ナホルの孫娘リベカ が現われ、彼に水を飲ませ、らくだにも水を飲ませてくれました。彼は感動し、主を崇め、そのことをベトエル家の継承者リベカの兄ラバンにはっきりと証し、ラバンもそれを聞いて主を崇め、リベカがイサクに嫁ぐことを承諾しました。リベカはすぐに従いました。正に主が備えてくださった結婚でした。私たちの結婚も、このように主の備えを確信する結婚でありたいものです。

創世記 25章

 

「アブラハムの死後、神は彼の子イサクを祝福された。」(創世記 25:11)                    

 

 アブラハムには、妻サラの子イサクのほかに、サラのそばめハガルの子イシュマエル、それにもう一人の妻ケトラの8人の子どもたちがいましたが、アブラハムはイサクに全財産を与え、他の子どもたちにはそれぞれ相応の贈り物を与えてイサクから遠ざけました。人としての情愛以上に、主がイサクによって祝福を与えると言われた主のお約束(創17:19)を大事にしたのです。そのアブラハムに育てられたのですが、甘さのせいか、イサクは自立が不十分だったようです。アブラハムとそのしもべの信仰によってリベカと結婚できたのですが、母の代わりとしてリベカを愛したと言われています(24:67)。母離れができていなかったのでしょう。妻リベカが不妊の女だったので主に祈りましたが、一人で祈り、リベカと一緒には祈っていません。そういうイサクの態度に反応したのか、リベカも双子の懐妊を知って、主に祈りましたが、やはりイサクと一緒にではなく、一人で祈っています。そして、イサクは肉が好きだという肉欲に従って猟に明け暮れるエサウを偏愛し、それに対応して、リベカは穏やかなヤコブを偏愛しました。こういう両親の間に育ったエサウもヤコブも自分のことを第一に考え、ひとのことを配慮することができませんでした。エサウは飢えて食べ物が欲しくなるとヤコブの煮物を求め、形のない長子の権利を軽んじ、自分の利益を図るヤコブはエサウの弱みにつけ込んで長子の権利を奪いました。そういうイサクの家でしたが、主はお約束どおりイサクを祝福されました。ほむべきはただ主の御真実のみです。

 

 

創世記 26章

 

「私たちは、主があなたとともにおられることを、はっきり見たのです。」(創世記 26:28)        

 

 イサクは父アブラハムにならって歩みましたが、自立した信仰の確立という点では不十分だったようです。彼は父アブラハムと同じ失敗をします。飢饉に遭ったとき、食料を求めてエジプトに下ろうとし、ペリシテ人の地まで来ました。主が彼に現われ、“エジプトに下るな、わたしがお前の子孫を星のように増し加え、彼らにこの地を与える”と言われました。彼はエジプトに向かうのをやめ、その地に止まりました。しかし、その地の人がリベカを得るために自分を殺すかもしれないと恐れ、彼女を妹だと偽りました。アブラハムの失敗と同じです。ペリシテ人の王アビメレクはイサクとリベカが夫婦であると知り、彼らに手を触れるなと彼の民に命じました。背後に主の御守りがあったことがうかがえます。主はイサクを祝福され、イサクは大きな収穫を得て豊かな富を手にしましたが、ペリシテ人のねたみを買い、ペリシテ人の地を追われます。しかし、行く先々で、井戸を手に入れます。ペリシテ人は、イサクが掘った井戸を自分たちのものだと言い張って、奪いました。イサクは争わず、身を引きますが、すぐ次の井戸を掘り当てます。主がともにおられたからです。そのことがアビメレクの目にもはっきりと映りました。それで、彼はイサクのところに来て、現代流に言えば平和条約を結びました。主はお約束にご真実で、主がイサクとともにおられることを現わされました。私も祈ります。「主がともにおられることがわかる生活に導いてください、主よ。」

創世記 27章

 

「おまえが来る前に、私はみな食べて、彼を祝福してしまった。それゆえ、彼は祝福されよう。」

                     (創世記 27:33)

 

 リベカの胎に双子が宿り、二人がぶつかりあったとき、リベカは主に祈りました。主は、リベカは双子を生み兄が弟に仕える、と言われました。イサクとリベカの夫婦関係からすると、リベカはこのことをイサクに告げず、ひとり心に秘めていた可能性があります。それでも、そのことは何となくイサクにも感じられたでしょうが、イサクは主に聞いて確かめることはせず、自分が猟の獲物が好きだったので、猟を好むエサウの方を愛しました。そして、年を取り、目も見えなくなってきたとき、エサウを祝福してやろうと考え、猟で獲物をとってきておいしいご馳走をつくるように頼みました。そのことを盗み聞きしたリベカは、ヤコブに、エサウの変装をして、イサクの祝福を受けるように指示しました。ヤコブは、恐れましたが、リベカの勧めに従い、エサウになりすまして、イサクの祝福を受けました。こうして主の預言は実現しましたが、イサクもリベカもヤコブも関係者すべては主を信じて行動したわけではありません。イサクは主の預言にさからい、リベカも主を信頼して待つのではなく、人間的な策略に頼りましまた。ヤコブも信じて主に従ったのではなく、リベカに従い、自分の益をはかりました。それにもかかわらず、主のみことばは実現しました。大事なのは、人の言動でなく、主のみことばです。このことに気づいたとき、イサクは主が選ばれたのはヤコブであることを知り、それを変えようとせず、受け入れました。この箇所での唯一の信仰の応答です。

 

創世記14章

 

「あなたの手に、あなたの敵を渡されたいと高き神に、誉れあれ。」(創世記 14:20)                     

 

 アブラムの時代、中東世界の覇者はエラムの王ケダルラオメルだったようです。ソドムとその周辺の小国もケダルラオメルに従いましたが、12年目に、ソドムの王ベラを中心にして、ケダルラオメルに背きました。ケダルラオメルは、シヌアル、エラサル、ゴイムなどの同盟軍を率いて、カナン周辺の諸国を征服し、ソドムの王をかしらとする5人の王の連合軍を打ち破り、それら諸国を略奪して引き上げました。そのとき、ロトとその全財産も奪いました。ロトは、アブラムと別れたとき、豊かな地域を選んでそこに移り住んだのですが、豊かさを求める生き方から、道徳的に堕落していたが経済的には豊かであったソドムにひきつけられていったのでしょうか、ソドムに住んでいて、この難に遭ったのです。アブラムは、そのことを聞くとすぐ、家の子郎党318人を集め、凱旋中のケダルラオメル同盟軍を追いました。そして夜襲をかけて、敵を追い散らし、ロトを救い出しました。自分の勢力を伸ばすための戦争ではなく、ロトを救い出すためだけに戦ったのです。今で言えば、片田舎の大家族が、アメリカ主導の連合軍を襲うような無茶な戦いでしたが、主が彼らとともにおられ、奇跡的な勝利を得させてくださいました。そのとき、サレムの王メルキゼデクがアブラムを祝福し、アブラムからのささげものを受け取った出来事は、世俗の世界に神が現われた絵のようです。後に、へブル人への手紙の著者は、ここに、神の大祭司としてのイエスさまの御姿を見ています(へブル7章)。私も、主と共に歩ませてください、と祈ります。

創世記15章

 

「彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。」 (創世記 15:6)                     

 

 アブラムがケドルラオメルの手からロトを救い出し、メルキゼデクの祝福を受け、ソドムの王からの贈り物を断った出来事の後、アブラムは、神の恵みを経験しましたが、ケドルラオメルの報復の恐れ、ソドムの王との関わりのきしみなどの不安材料もありました。そのとき、主はアブラムに現われ、彼を祝福されました。しかし、アブラムには子がなく、彼は自分の家族の先行きに不安を禁じられませんでした。それで、跡取りは奴隷の子になるのかと主にお聞きしますと、主は、お前自身から生まれ出る者が跡取りになると言われ、彼に天の星を見させ、お前の子孫は空の星のようになる、と約束されました。年をとっていて、子どものなかったアブラムでしたが、彼は、主のみことばを信じました。それを主は、彼の義と認められました。主の愛を受ける者のあるべき姿だと賞賛されたということです。目に見える状況がどうであれ、主が語られたことをそのまま信じ受けることこそ、主が最もお喜びになる義しい応答なのです。後に、パウロが、救いは律法の行いによるのでなくただ信仰のみによるということを示してくれましたし、宗教改革者たちも信仰義認の教理こそキリスト教信仰の基本だと教えてくれました。信じることが大事なのです。主は、さらに、アブラムにカナンの地を与えると約束されました。そして、獣を裂いてその真ん中を主からの火が通り過ぎるというしるしを通して、おことばでのお約束を誓いの契約で確証されました。私も、みことばによる救いのお約束と誓いの契約を、感謝し、信仰をもってお受けします。

 

創世記 16章

 

「彼女は自分に語りかけられた主の名を『あなたはエル・ロイ(ご覧になる神)。』と呼んだ。」

                    (創世記 16:13)

 

 アブラムは、自分から出る子が跡取りになるというお約束をいただきましたが、子が与えられる気配はありませんでした。当時は、女主人が自分の女奴隷を主人に与え彼女が子を生むとそれを自分の子とすることが認められていました。それで、サライは自分の女奴隷ハガルをアブラムに与え、彼女によって子を得るように勧めました。こういうやり方は妻にとっては辛いことでしたが、子を得るためには止むを得ないと思ったのでしょう。アブラムはサライの“犠牲的な”申し出に感動したのでしょうか、その勧めに従いました。しかし、こうなるとハガルは増長し、女主人サライを軽んじるようになりました。サライは怒り、それをアブラムのせいだとなじりました。アブラムは、サライに、ハガルを好きなようにしたら良い、と言いました。信仰の父アブラム、貞淑な妻サライだったはずの二人の惨めな姿に目を見張ります。しかし、これが人間の現実です。主を見上げているときはきよい聖徒であったり、毅然とした勇士だったりする人も、主を見失い、主のみことばにたいする信頼が揺らぐと、罪人の現実が姿を現わします。その結果、ハガイは逃げ出しました。しかし、主は、御使いに彼女を追わせ、女主人のもとに帰って彼女に仕えるように勧めました。問題に直面するときは出発点に帰って出直すのが基本だ、と示されます。そして、主は、ハガルを顧み、彼女の子もアブラムの子とされました。主は、人間の不信仰による失敗の尻拭いもしてくださるのです。

創世記 17章

 

「アブラハムとその子イシュマエルとは、その日のうちに割礼を受けた。」

                     (創世記 17:26)

 

 アブラムに子がないので、サラはアブラムに奴隷女によって子をもうけるように誘い、アブラムがその誘いに乗ってイシュマエルを生んでから後、13年間、主はアブラムに語られなかったようです。主のみこころにそわないことをしたとき、私たちも、主から遠く離されたような気持ちになるものです。でも、アブラムが99歳になったとき、主は彼に現われ、「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。」と言われました。失敗し、空虚な生活が長く続いた者には、全能の力をもった御方の親しい語りかけを聞くこと以上の喜びはありません。しかも、このとき彼はアブラハムという新しい名を与えられました。彼は新しくされたのです。そして、彼の子孫が増え、多くの国民となり、カナンの地を与えられ、主が彼らの神となり、彼らは主の民となる、という契約が再確認されました。その契約のしるしとして、アブラハムと彼の一族の男子は割礼を受けるように命じられました。サライはサラと呼ぶようにと言われました。アブラハムは信じ切れなかったのか、イシュマエルが長生きするように願いましたが、主は、サラに男子が生まれることを告げ、その子をイサクと名づけるように命じ、イシュマエルについてのアブラハムの願いを聞きいれ、彼も多くの子孫を得る、と言われました。アブラハムは、主を信じて、すぐに、主が言われたとおり割礼を受けました。人間的な工作に頼らず、主のみことばに聴き従う歩みが回復されたのです。

 

創世記 18章

 

「主はこう考えられた。『わたしがしようとしていることを、アブラハムに隠しておくべきだろうか。』」                    (創世記 18:17)

 

 主はアブラハムに子が与えられることを約束されただけでなく、旅人として彼を訪ね、そのことを再確認されました。アブラハムは、天幕の入口に座っていたとき、そこに立った3人に目を留め、彼らの前に走り寄り、ひれ伏して、彼の接待を受けてくれるように願いました。彼らは承諾し、アブラハムは心を尽くし力を尽くして接待しました。大変なもてなしようです。後の聖書記者が、それと知らずに御使いたちをもてなした、と記している状況にぴったりです(ヘブル13:2)。食事の後、彼らの中のひとりが、来年の今頃までにサラに男の子が与えられる、と言いました。主は、ここで、アブラハムにサラによる男の子が与えられるというお約束を再確認されたのです。サラは信じられずに密かに笑いましたが、主はすべてをご存知です。神に不可能はないと言って、彼女をさとし、彼女の信仰をよびさまされました。それから、アブラハムに、ソドムとゴモラの罪のさばきを伝えられました。主は、ソドムとゴモラの罪を知り、その実態を調べるために来ておられたのですが、「わたしがしようとしていることを、アブラハムに隠しておくべきだろうか。」と自問され、アブラハムにさばきのことを語られました。アブラハムに対する主の深い信頼が心に迫ります。アブラハムは、ソドムとゴモラにいる正しい者たちのために執り成し、主はそれを聞かれました。私たちも、主の愛と義を示されています。それなのに、どれだけ執り成しの祈りを捧げているか、と問われます。

創世記 19章

 

「神はアブラハムを覚えておられた。それで、ロトが住んでいた町々を滅ぼされたとき、神はロトをその破壊の中から逃れさせた。」                (創世記 19:29)

 

 アブラハムが主の前に立ってロトのためのとりなしをした日の夕暮れ、ふたりの御使いがソドムにつきました。ロトは二人を見、自分の家に招待しました。二人は固辞しましたが、彼は強いて招き入れました。しかし、町の人々が押し寄せ、旅人たちを差し出せと迫りました。ロトは娘たちを代わりにするからやめるようにと言いましたが、聞き入れられず、かえってののしりを受けました。御使いたちは、ロトを家の中に助けいれ、ソドムへのさばきを告げ、家族と身内の者を連れて、ソドムから逃れ出るように言いました。ロトは、妻と二人の娘を連れて逃げ出しましたが、なおも未練たらしく、山へ逃れよ、と言われたのに、小さな町ツオアルに逃れ、後を振返るなと警告されていたのに、ロトの妻は振返って塩の柱になりました。そして、不道徳なやり方で、後にイスラエルの子孫の敵となった二つの民族の祖先を生みました。ロトの中途半端な歩みが目に留まります。ロトはアブラハムの信仰の歩みを身近に見たのですが、形だけ学び、主を信頼して歩むことは身につかなかったようです。富と快楽に満ちた不道徳な町ソドムに住み、山に逃れよ、と言われても、町に逃れようとしました。そのようなロトでしたが、主は彼を救われました。アブラハムのとりなしのゆえでした。「私の信仰も中途半端です。しかしイエスさまが取り成してくださっています。ロトのようにではなく、アブラハムのようにまっすぐ主に信頼する道に導いてください。」と祈りました。

 

創世記 20章

 

「そこで、アブラハムは神に祈った。神はアビメレクとその妻、およびはしためたちをいやされたので、・・・。」                     (創世記 20:17)

 

 アブラハムには、以前、エジプトで妻サライを妹だと偽って、サライを危地に追いやり、主のご介入によって救われた、という経験がありました(12:10以下)。ところが、ゲラルでもおなじ失敗を繰り返しています。エジプトではサライを手に入れようとしたパロからの贈り物で豊かになったので、失敗を悔いる心が弱かったのかもしれません。それにアブラハムとサラとは異母兄妹で、妹と言っても全くの偽りではなかったので、そのことも悔改めを不徹底にする一つの要因になったかもしれません。しかし、妻であることを隠したわけですから、欺きであることに変わりはありませんでした。それに、アブラハムのこのやり方は、身を守るために、国を出るときからずっと考え抜かれていたことでした。主を信じる者にも、このような不誠実さが巣食っていることがあります。しっかり自分の生き様を吟味しなければならないと思いました。それに対してアビメレクは立派でした。主は彼の誠実さを認め、彼が罪を犯すことのないように止め、アブラハムに祈ってもらうように命じられました。アブラハムが祈ると、主はアビメレクの一家に下された御手を引き、彼らは癒されました。人間的には、恥ずべきアブラハムが、立派なアビメレクのために執り成し、それを主が聞いてくださったのです。私たちも自分の罪深さを知っており、また未信者で立派な人生を送っている人々を知っています。それでも彼らのためにとりなしの祈りを捧げるべきだ、と示されます。

創世記 7章

 

「あなたとあなたの全家族とは、箱舟にはいりなさい。」  (創世記 7:1)         

                      

 ノアが箱舟を作り終えたとき、主は、ノアに、「あなたとあなたの全家族とは、箱舟にはいりなさい。」と言われました。主はノアに目を留め、箱舟を作るように命じ、“彼と彼の家族が箱舟に入り、すべての生き物の雄雌一つがいずつ、きよい動物からは七つがいずつ、連れてはいれ、大雨を降らせ、地のすべての生き物を消し去るからだ”と言われました。ノアはその通りにしました。主が命じられたとおりに、動物が雄と雌2匹ずつ入ってきました。ノアが連れ込んだというより、動物の方から入ってきたようです。神が働かれたのでしょう。彼らが皆はいり終わると、主ご自身が後の戸を閉められました。ここに主の救いの順序が示されているようです。私たちの救いも、まず主が目を留めてくださったところから始まります。そして、みことばによって主の救いの道が示され、それを受けるように語りかけられます。主の語りかけに聞き従うと、主が聖霊によって救いの証印を押してくださり、救いを確証してくださいます。すべては主の備えです。しかし、私たちが聞き従うのでなければ救いは私たちのものとはなりません。私たちにとって大事なのは、主が示してくださったみことばに聞き従うことです。“みことばに聞き従います、助けてください”と祈りました。ノアの一行が箱舟に入り終わると、雨が降り出し、大雨が40日40夜、降り続き、大洪水となり、山々の頂まで水没する有様、地のすべての生き物は消し去られました。主のみ声を聞かず箱舟に入らなかった不信の者はすべて滅ぼされました。不信の実は滅びです。

 

創世記 8章

 

「神は、ノアと、箱舟の中に彼といっしょにいたすべての獣や、すべての家畜とを心に留めておられた。」   (創世記 8:1)          

 

 世界は水に覆われ地上のすべての生き物が消し去られましたが、「神は、ノアと、箱舟の中に彼といっしょにいたすべての獣や、すべての家畜とを心に留めておられ」ました。救いは神が目を留めてくださるところから始まるのです。神が風を吹かせられ、雨が止み、水は引きはじめました。しかし、水はまだ地の全面を覆っていました。150日たち、第7の月の17日になって、舟底が大地に触れたことが感じ取れました。しかしまだアララテ山上でした。周りの山々の頂が現われたのは第10の月になってからでした。ノアはカラスを、また鳩を飛ばしましたが、まだ状況は変わっていないとわかりました。救いが体得できるまでにはずいぶん時間がかかるのです。忍耐をもって信じて待つことが必要です。もういちど鳩をはなつとオリーヴの若葉をくわえて帰ってきました。ノアは水が引いたのを知りましたが、鳩が生活できる状況にはなっていないと判断できました。もう7日たって鳩を放つともう帰ってきませんでした。雨が降りだして10ヵ月後、ノアは箱舟の覆いを取って外界を見、水が引き地が乾いたことを知りました。しかしノアはまだ動きませんでした。第2の月の27日に神がノアに箱舟を出るように命じられました。ノアはみことばを聞いて、家族とともに舟を出、まず祭壇を築き、礼拝をささげました。神第一の人生を始めたのです。「私も、自分の救いのあとを確認しみことばに従って主第一の生活を歩みます。お導きください。」と祈りました。

 

創世記 9章

 

「神は人を神のかたちにお造りになったから。」 (創世記 9:6)              

 

 箱舟を出、礼拝をささげたノアとその家族を主は祝福して言われました。“生めよ、増えよ、野の獣、空の鳥、海の魚、これらすべてをあなたがたにゆだねる、それらを緑の草と同じように食べてよい、しかし、肉は血のあるままで食べてはならない、人の血を流す者にはそのいのちを要求する、神は人を神のかたちにお造りになったからだ”と言われました。改めて人に地の統治権を与え、植物だけでなく肉食をも許されたのですが、血は禁じ、人のいのちにはそれを犯す者のいのちを求められました。人は神のかたちに造られているからです。神を畏れ尊ぶことは何よりも大事です。主は、 “二度と大洪水で生あるものを絶滅するようなことはない”と宣言し、契約をもって確認されました。そして、その契約のしるしとして、虹をお与えになりました。人は、虹を見て神のご契約を思い出し、感謝し喜びます。主は、人の弱さを知って目で見えるしるしをお与えになるのです。私たちも、イエスさまを信じる信仰だけで救われるのですが、その信仰を告白し洗礼を受けることによって信仰が確証され、信仰生活が安定します。その後、ノアはぶどう畑を作りましたが、その実からぶどう酒を造って飲んだところ、酔っ払って、天幕の中で裸になって寝てしまいました。ハムはそれを見、セムとヤペテに告げましたが、セムとヤペテは父の裸を見ないようにして着物を着せました。父の人格を軽く見たハムは子孫まで呪われ、父の人格を大事にしたセムとヤペテは祝福されました。神のかたちである人格にどう対するかが問われているのです。

 

創世記 10章

「以上が、その国々にいるノアの子孫の諸氏族の家系である。大洪水の後にこれらから、諸国の民が地上に分かれ出たのであった。」

                     (創世記 10:32)

 この章は、「これはノアの息子、セム、ハム、ヤペテの歴史である」という書き出しで始まり、「大洪水の後にこれらから、諸国の民が地上に分かれ出た。」ということばで締めくくられています。大洪水で人類はノアの家族以外は死に絶えましたから、ノアから新しい人類の歴史が始まったわけで、私たちもその流れの中にいます。ですから、自分たちのルーツを探ろうとすれば、ここにまでいたるわけです。ハムはノアの末の子で(9:24)、セムはヤペテの兄ですから(10:21)、年齢的にはセム、ヤペテ、ハムの順になりますが、この系図では、ヤペテの系図から始まっています。ヤペテの子孫から海沿いの国々が分かれ出たと記されています。海は広く商取引の場を広げますから、冒険心に富み、利益を求めて活動の場を広げる経済重視の国々を生み出したようです。ハムの子孫は、地上で最初の権力者ニムロデが出たように、権力を求め、平野のあったシヌアルを中心に大きな町々を建てていきました。エジプトやアッシリヤ、バビロンなどは彼らから出ました。セムの子孫は高原地帯をルーツとしていました。箱舟の着地したアラレアテに近く、主の救いを思い返し、主を求める機会が多かったところです。人は、神を崇め、権威の下で秩序を保ち、勤勉に働くものですが、生まれ育ちで、何かに傾く傾向があります。私のルーツを思い返し、まず主に救われたことを確認し、長所を感謝し、欠けを埋めていただくよう、祈り、励みたい、と思います。

 

創世記11章

 

「さて、全地は一つのことば、一つの話しことばであった。」  (創世記 11:1)        

 

 この章は、「さて、全地は一つのことば、一つの話しことばであった。」という書き出しで始まり、彼らが心を一つにしてバベルの塔を建てようとしたことを記しています。主は「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、いまや、彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。」と言われました。人が一致して事に当たるときの力は強力です。しかし何に向かって一致するかが問題です。ピリピの教会は福音のために一致しましたが(ピリピ1:27,2:2)、シヌアルの平野に住んだ人々は、全地に増え広がれ、という主のみこころに背き、その地に止まり、天にまで届く塔を建て、自分たちの名を上げるために一致したのです。自分を主とする生き方で、石や粘土など自然の材料ではなく、レンガや瀝青など自分たちで作った建材を用いて、自分の名を上げるための塔を建て始めました。しかし、主が彼らのことばを乱されたので、彼らの一致は破れ、彼らは塔を建てるのを止め、全地に散らされました。そして、人々を全地に増え広がせるという主のみ心が実現することになりました。結局、成るのは主のみこころです。自分を主とする生き方は、同じことばでも心が通じなくなるものです。主のさばきです。真の一致は、主を主とするところで生まれ育ちます。私は、主にある一致を求めます。この後、セムからテラを経てアブラハムにいたる系図が紹介されます。アブラハムを通して主が私たちに与えられる救いを示してくださるのです。アブラハムの物語の展開を心して聞こうと思います。

 

創世記12章

 

「そのころ、主がアブラムに現われ、そして『あなたの子孫に、わたしはこの地を与える。』。と仰せられた。」  (創世記 12:7)           

 

 アブラムの父テラがカランで死んだとき、主はアブラムに現われ、「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、・・・地上のすべての民族は、あなたによって祝される。」と言われました。アブラムは、すでに75歳になっていましたが、全財産を携え、妻サライ、甥のロトをはじめ全家族を連れて出立しました。主のみことばに、すぐに、すべてを挙げて、従ったのです。カナンの地に入ると、主がアブラムに現われ、そして「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える。」と仰せられました。主に従いはじめると、主が「わたしがともに行く。」と言ってくださるのです。主の御声を聞いたアブラムはそこに祭壇を築いて主を礼拝し、主の御名によって祈りました。祝福に溢れた信仰者の歩みです。しかし、その地に飢饉が襲ってきました。アブラムは自分たちの生活を守るために、食料が豊富にあったエジプトに難を避けました。そのとき、妻サライが美しかったので、エジプト人が彼女を得ようとして自分を殺すかもしれないと恐れて、サライに、妻であるとは言わず妹だと言ってくれ、と頼みました。主を仰いで祝福に溢れた歩みをしたアブラムも、自分を守ろうとしたときは卑しく惨めな姿を見せました。それでも、主はアブラムを守り、サライをエジプト王の手から救い出し、彼らはカナンに帰ることができました。主の御真実、御愛を思います。

創世記 13章

 

「そこは彼が最初に築いた祭壇の場所である。その所で、アブラムは、主の御名によって祈った。」

                      (創世記 13:4)

 

 アブラムは、エジプトに入ったとき、美しい妻サライのゆえに自分は殺され、妻は奪われると恐れ、サライを妹と偽ったのですが、主の介入によって、無事サライを伴ってカナンの地に帰ってくることができました。ロトも、エジプトで得た財産もすべていっしょでした。彼は、彼が最初カナンの地に入ったとき祭壇を築いて主を礼拝したベテルとアイの間の地に行って、そこで、また祭壇を築いて主を礼拝しました。失敗したときは出発点に立ち返って出直すのがいちばんです。私たちの信仰生活でも、悔改めて初めの愛に立ち帰るのが回復の基本です。そこから祝福に満ちた新しい歩みが始まります。しかし良いことばかり起こるとは限りません。問題が出てくることがあります。アブラムの場合、「家畜と銀と金とに非常に富んで」いましたし、ロトもそうでしたから、カナンの地で二人の家畜を養うほど広大な牧草地を得ることができず、両者の牧童たちの間に争いが起こりました。この問題に直面したとき、アブラムは、すでに主を信頼し主にすべてを委ねて歩むように導かれていましたから、ロトに、別かれて住むことを提案し、どちらに行くかは、まずロトに選ばせました。ロトは見た目で豊かな方を選んで去っていきました。しかし、アブラムがロトと別れた後、主はアブラムに声をかけられ、カナンの地すべてをアブラムと彼の子孫に与えると言われました。主を信じ自分を捨て主を第一にする歩みに一歩踏み出すとき、主は祝福をもって臨まれるのです。

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