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恵みの日々

365 Days of Blessing

聖書解説 テトス1~3 ピレモン Ⅰ列王記1~2

テトスへの手紙 1章

「私が使徒とされたのは、神に選ばれた人々が信仰に進み、敬虔にふさわしい、真理の知識を得

るためで…」(テトス 1:1)  

パウロは、この手紙でも、他の手紙と同じように、発信人であるパウロが主から召された使徒で

あると宣言しますが、他の手紙以上に、彼が使徒として召された意味をはっきりと書き記しています。

「私が使徒とされたのは、神に選ばれた人々が信仰に進み、敬虔にふさわしい真理の知識を得るため …です。」それは、彼がテトスを遣わしたのが「嘘つき …怠け者の大食漢」と言われたクレタ人の教会だったからでしょう。

パウロは、彼らを、純粋な信仰をもち、真理に基づく正しい知識を保ち、敬虔な生活をし、周りの人々にキリストを証する聖徒に育て上げるために召された、と確信していたのです。

テトスはギリシャ人で、パウロに導かれて信仰をもち、彼のもとで育てられましたが、パウロが捕えられたとき、彼によってクレタの教会を助けるために遣わされました。クレタに行って、そこの教会のために長老を任命し、彼らがクレタの教会を守り育てるように指導するためでした。

パウロは、自分たちの中から立てられた長老や監督たちによる自立した教会が育つことを目指していたのです。その長老や監督には、何かが出来ることよりも、まず、その生活が整えられることが求められました。

きよい生活、すなわち自己主張せず、慎み深い、人々への配慮に富んだ人であることが、彼らの語る証のことばが受け入れられるための最大の備えだからです。「お前も空理空論を避け、健全な教えを語り、その支えとなる健全な生活を求めよ」と迫られているのを覚えます。


テトスへの手紙 2章

「私たちの救い主である神の教えを飾るようになるためです。」(テトス 2:10)  

パウロは、クレタ教会ヘ遣わしたテトスに、まず、「健全な教えにふさわしいことを語りなさい」と命じ、老人、年をとった婦人、若者、そして奴隷、それぞれに対する具体的指示を与えました。  

年配の男の人たちには、「自分を制し、品位を保ち、慎み深く、信仰と愛と忍耐において健全であるように」と諭すことを命じました。

主を崇め、自分を慎み、他者への配慮を働かせることを勧めたのです。年配の女の人たちに対しても同じでした。神に仕えている者にふさわしく、人を中傷せず、大酒のとりこにならず、良いことを教えるにふさわしい生活をするように、と命じ、彼らに若い女の人への指導を任せるようにさせました。

そのとき、まず自分の生活を整えることが正しい指導の備えであることを語りました。これはすべての指導者が心得るべきことです。

若い人には思慮を働かせることを命じさせ、奴隷には、主人に従い、忠実であるように勧めさせます。すべて、自分の感情を爆発させて反抗したり、悪口を言ったり、酒に紛らしたりしないで、慎み深く、自分を治めることが大切だ、という勧めです。

「それは、彼らがあらゆる点で、私たちの救い主である神の教えを飾るようになるため」でした。いくらよいことを語っても、語る人の生活が乱れていれば、だれも聞いてくれません。聖書の健全なことば、健全な教えがしっかり受け止められるためには、語る者の健全な生活が必要なのです。

それは、主が「私たちをすべての不法から贖い出し、良いわざに熱心な選びの民をご自分のものとしてきよめるため」に、ご自身をささげられたことを知るところから生まれ出る実なのです。


テトスへの手紙 3章

「私たちの救い主である神のいつくしみと人に対する愛が現れたとき、…」(テトス 3:4)  

パウロは、この世の支配者に従順に従い良いわざに励むよう、そしてお互いの間では柔和で争わないように、と勧めます。

しかし、意気地のない人間になるようにという勧めではありません。神を退け自分で自分を主張し自分を守ろうとするとき、人は、人と争い、怒りと自分の欲との奴隷となってしまいます。

しかし、主を知り、主の愛の中に置かれていることを確信するとき、安らぎを得、この世の権力闘争の外側で生き、人々に穏やかに接することができます。主が私たちを救ってくださったのは、そういう生活に導くためでもあったのです。

パウロは、「私たちの救い主である神のいつくしみと人に対する愛が現れたとき、神は、私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみによって、聖霊による再生と刷新との洗いをもって、私たちを救ってくださいました」と言いました。

イエスさまの救いを信じるとき、聖霊は私たちを造り変えて新しい人とし、主と共同の相続人とし、主の愛の中に安らぎ、確信をもって主を証し、人々との間に平和を生み出し育てる人生に導いてくださいます。それが主の証の助けとなります。

そのような実を結ばせるものは、主の健全なみことば、そしてそれを素直に信じて受ける信仰です。愚かな議論、系図をめぐる口論、律法についての論争など、自分の知識を誇る空理空論を避け、健全な主のみことばを素直にお受けしたいものです。

最後のパウロとテトスとの親しいやり取り、アポロやゼナスなどの同労者への細やかな配慮も、主を信じる者の間で味わえる恵みであることを覚えます。


ピレモンへの手紙

「彼は、以前はあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにとっても私にとっても役に立つ者となっています。」(ピレモン 11)

この手紙は、パウロがコロサイの教会に手紙を書いて、ティキコに持たせてやったとき、オネシ

モを同行させ(コロサイ 4:9)、オネシモの元の主人ピレモンに宛ててパウロが書いた添え状です。オネシモはピレモンの奴隷でしたが、たぶん主人の金を盗んで、ピレモンのところから逃げ出し

たのでしょう。

ところが、パウロが彼に会って、彼をキリストのもとに導きました。彼が信仰を持ったので、パ

ウロは彼を手元に置いて助け手としたいと思いましたが、オネシモの元の主人であったピレモンの同意なしにそんなことをしてはよくないと思って、オネシモをピレモンのもとに送り返しました。 

イエスさまに対する信仰を持ったとき、彼は回復され、神に背を向け神に対して無益だった者が神さまにとって大切な神の子とされ、それだけでなく、牢につながれていた囚人のパウロにとって役立つ有用な助け手となり、主人の意に沿わず主人のものを盗むような無益だった者が主人にとっても役に立つ者と変えられたのです。

福音は、神にとっても人にとっても、有害無益な者を有益な者に変える力があります。主が、お前も福音によって、神に対しても、教会に対しても、家族、友人、社会に対しても有益な者と変えられる、信じて歩め、と語りかけてくださるのを感謝してお受けします。

手紙を受けたピレモンは、おそらく、オネシモを赦し、彼を奴隷としてではなく、兄弟として受け入れ、パウロを助けるために、パウロの許に改めて送り返したのではないか、と私は思います。



1列王記 1章

「祭司ツアドクと預言者ナタンは、そこで彼に油を注いでイスラエルの王とせよ。そうし、て角笛を吹き鳴らし、『ソロモン王。ばんざい。』と叫べ。」

                     (列王記1 1:34)

 ダビデの死期が近づいたとき、ハギテの子アドニヤが、次の王座を狙い、軍の長ヨアブと祭司エブヤタルを抱きこみ、イスラエルの有力者たちを食事に招いて、そこで自分をイスラエルの王として認めさせようとしました。

そのとき、預言者ナタンは、ソロモンの母バテ・シェバに、ダビデ王のもとに行って、あなたは必ずソロモンを後継者になると誓われたのに、なぜ今アドニヤが王となったのですか、と言いなさい。私も行って、あなたのことばを保証します、と言いました。

しかし、預言者ナタンにして、どうして、主のみこころだということを正面に打ち出さず、ダビデのことばを楯にするようなことを助言したのでしょうか。バテ・シェバとナタンのことばを聞いて、ダビデは、バテ・シェバに、「主は生きておられる。主は私のたましいをあらゆる苦難か贖い出してくださった」と主を仰ぎ、主によってソロモンを王とすると誓い、祭司ツアドクと預言者ナタン、それにベナヤに、ソロモンを王の乗る雌騾馬に乗せて、ギホンに下り、そこで、ソロモンに油を注いで、彼をイスラエルの王にするようにさせ、ダビデ自身がソロモンの王位を認め、ソロモンを王とされた主を礼拝しました。

こうしてアドニヤ党は壊滅し、ソロモンがイスラエルの王となりました。自分の名誉や勢力を求める行動は空しく、主のみこころを求めることの大切さを思います。「私にも主を恐れる心をください」と祈りました。


1列王記 2章

「こうして、王国はソロモンによって確立した。」

                     (列王記1 2:46)

 ダビデは、死期が近いと感じたとき、ソロモンを呼び、遺言を伝えました。

強く、男らしくあれ、とソロモンを励まし、モーセの律法に書かれているとおりに、主の掟と命令と定めとさとしを守って主の道に歩め、とさとしました。

その上で、自分の地位を守るために二人の武将を殺したヨアブと、ダビデを呪ったシムイには、彼らの行った悪に報復し、追われる身であったダビデに好意を示したバルジライには、その子らに恵みを報いるように、と命じました。

国が治まるには正義が行われなければならないと思ったのでしょう。ダビデが死んでしばらくすると、アドニヤが、ソロモンの母バテシェバを介して、ダビデの最後のそばめシュネム人アビシャグを妻に迎えたいと言ってきました。その奥に王位を伺う叛意を察知したソロモンは、ベナヤに命じてアドニヤを殺させまました。

それから、かつてアドニヤを支持した祭司エブヤタルを罷免し、ダビデの軍団長であったヨアブを殺しました。アドニヤを王としようとした反対勢力は一掃されました。

シムイには、エルサレムを出てはならない、出ると死ななければならない、と警告し、3年後、逃亡した奴隷を連れ戻しにガテマデ出かけたシムイを殺しました。こうして、ソロモンの王国は、ソロモンによって確立しました。

しかし、主によって、と言われず、ソロモンによって、と言われているところに、危うさが潜んでいます。ダビデの家が永遠に立つといわれた主の預言は(2サムエル7章)、イエスさまが来られるまで待たなければならなかったのです。


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