恵みの日々

365 Days of Blessing

イエスの救い


早いもので、奥平牧師ご夫妻がニュージーランドへ一時帰国されてから二ヶ月が経ちましたが、地元の教会や家庭集会等でご奉仕されていると伺い、神様の召命に忠実な先生ご夫妻の働きに心を動かされている今日この頃です。

そこで6月8日に、約20名の日本人の祈りのグループにメッセージを語る機会があったとのことで、早速その原稿を送ってくださいましたので、久しぶりに皆さまへシェアさせていただきたく思います。

イエスの救い

人生はなかなか自分の思うようにはいきません。

ある、よく訓練された馬がいました。

この馬は、ハレルヤと言うと走り出し、アーメンと言うと止まります。

ある時ハレルヤ、ハレルヤと乗り手が言うので、馬は草原を全速力で走りました。

しかし急に目の前に深い谷が現れ、がけ淵に近づいたので、アーメンと言って馬を危機一髪で止まらせました。

ところが、命が危ないところで助かり、ほっとして、神に感謝してハレルヤと言ってしまいました。

パウロシラスはイエスの救いを伝えているときに迫害に遭い、捕らわれ、鞭打ちの刑を受け、牢につながれました。

しかし、彼らは神に感謝の歌を捧げました。

その反対に牢屋の番人は囚人たちが逃げようとしているのを見て、責任を問われ罰を受けることを恐れて自殺しようとしました。

イエスを信じている者と、信じていない者とは思いがけない困難が来た時に、心の態度が異なります。

救いの意味

今晩の説教の題は「イエスの救い」です。

イエスの救いとは何を意味するのでしょうか。

救いとは、困難、逆境、苦痛から開放されることを意味します。

人間は肉体魂(精神)から成り立っています。

それで、この三つの領域の困難、苦境から開放されることが、包括的な、すべてを含む救いです。

人間は霊的な存在です。

人間は天地創造主なる神によって造られ、その鼻に命の息を吹き込まれました。 創世記 2:7

ですから、どの古代文明にも宗教があり、超自然的力を持つ神を礼拝しようとします。

イエスの救いはこれら三つの領域における苦しみからの開放を意味しますが、最大の特徴は霊的な救いです。

I. 肉体

肉体に関する事柄は、まず、第一に衣食住の欠乏による苦痛です。

食べ物の不足による空腹、寒い冬に衣類、住居に不足すれば寒さのために苦しみます。

世界では9人にひとりが飢えで苦しみ、餓死するそうです。

ニュージーランドのホームレスの数は4万人で、人口の1パーセントです。

世界では約10億もの人がホームレスだそうです。

日本では2010年に1.3万人で、約1千人にひとりの割合で他の国よりはるかに少ないです。

日本がいかに恵まれた国だかわかります。

A. 衣食住の欠乏(貧困)

一般的に、衣食住の欠乏は貧困から来ます。

自分の努力不足、失敗などから貧しくなることもありますが、貧困はどこの国に、どんな家庭に生まれるかでほとんど決まります。

また、失業、戦争、災害などの外的なできごとから、貧困に追い込まれます。

それで、経済的に祝福され、貧困の苦しみから開放されることは救いです。

イエス様は、空腹になった五千人の人々に、少年のお弁当を倍増する奇跡を起こして、彼らの空腹を満たしました。

イエス様は私たち人生のすべての面で、すなわち、この三つの領域において祝福され、救われることを願っています。

B. 病気は肉体的苦痛をもたらします。

病気であれば、経済的に祝福された金持ちであっても、惨めな、苦しい生活をしなければなりません。

毎日が苦痛の連続で、痛み止めの薬を飲みながら生活しなければならないことは大変な苦痛です。

それで、病気から開放されることは救いです。

私も背骨の激痛で数ヶ月苦しみましたが、何よりもこの痛みから開放されることを願いました。

イエス・キリストは様々な病気にかかった多くの人々を癒しました

瀬病人を清め、盲人、足萎え、熱病、てんかん、中風などの、ありとあらゆる病人を癒しました。

病人はイエス様によって救われたのです。

神様は私たちが霊的に祝されると同時に、体が健康であることを願っています。

C. その他に、戦争迫害による苦しみ、人身売買による長時間労働、売春、えん罪による不当な投獄による肉体的な苦痛があります。

世界には、現在4千万人の人身売買よる奴隷がいると言われています。

II. 精神(魂)

人間は精神的な動物ですから、肉体的必要が満たされ、肉体的困難・苦痛から開放されればそれで、すべて満足するわけではありません。

精神的な打撃を受けると苦しみます。

家族・友人などの突然の失業、信頼する人・妻・親友の裏切りなどは、精神的に大きいショックを与えます。

また、家庭・学校・職場などでの言葉の暴力いじめも大変な精神的ダメージを与えます。

これらの苦痛・苦境から助けられ、開放されることは大きな救いです。

また、ある政治的、宗教的、人種的偏見による疎外迫害なども大変な苦痛になります。

さらに、未来に対しての恐れ不安は精神的な苦痛をもたらします。

牢屋の看守は地震が起きた後に目を覚ますと、牢屋の扉が開いているのを見て、囚人たちが逃げてしまったと思い、剣を抜いて、自殺しようと思いました。

それは、その看守は、囚人たちが逃げれば看守の警備不足であると判断され、看守は厳しい裁き、たぶん死刑の罰を受けると判断したからでしょう。

未来に起こるできごとを予測して、恐れ、不安に囲まれ、自害しようとしたのでしょう。

これを見たパウロは大声で、「私たちは、みなここにいる。」と叫びました。

看守は明かりを取り、駆け込んできて、パウロとシラスの前にひれ伏しました。

そして、「先生方、救われるためには、何をしなければなりませんか。

二人は、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも、あなたの家族も救われます。」と言いました。

この看守は、囚人たちが牢屋から逃げていないのに、逃げたと思って自殺しようとしたのです。

私たちは、慌てて早合点をしたり、偏見で目がくらみ、間違った判断をしたりして、自分を精神的苦痛に追いやる愚かなことをするものです。

III. 霊

私たちの人生においても、間違った思い込みをして、人生を棒に振ることもあるのです。

パウロはクリスチャンになる前は、クリスチャンの敵として、クリスチャンを迫害していました。

彼は熱心なユダヤ教徒で、キリスト教は邪教だと心から信じていて、クリスチャンを逮捕し、牢に入れたりしていました。

霊的に、罪で心の目が見えず、自分では正しいことをしていると思っていても、間違ったことに自分のエネルギーを使っていたのです。

すなわち、霊的に盲目だったのです。

聖書は「人には良いと見えても終わりは死へと導く道もある。」— 箴言4:12

と述べています。

イエス・キリストの救いは肉体、精神、霊の三つの領域の救いを意味しますが、霊の救いが大きな意味を持っています。

霊的な救いは罪からの救いです。

マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民を、その罪から救ってくださる方です。」— マタイ 1:21

イエス・キリストの究極的な救いは罪からの救いです。

なぜなら、肉体的な必要が満たされ、苦痛から開放され、他者からのいじめ、抑圧、暴言などの精神的な迫害から救われても、罪からの救いがなければ、人は心が罪責感、良心の呵責、空虚さ、孤独感などから開放されません。

貧困からの開放は、他者から経済的援助を受けて、救われる可能性があります。

肉体の救いは医者、薬などの助けにより、苦痛から開放されます。

対人関係からくる苦痛の救いも、カウンセラーなどの助けによって、救われることが十分に考えられます。

しかし、霊の救い、罪からの救いはイエスのほかに救いはないのです

この方以外には、誰によっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。」— 使徒 4:12

それは、どんな宗教の創始者も、たとえどんなに立派な人であっても、罪深い人間で不完全であるからです。

盲人が盲人の手を導くことはできません。

泳ぐことができず溺れた人が、ほかの溺れた人を助けることはできません。

罪人が罪人を救うことはできないのです。

聖書によると、イエスは神の子として、人類を救うために天から遣わされました。

キリストは罪を犯したことがない、まったく清い完全な者だから、罪人の人間を救うことができるのです。

この罪人というのは、殺人や強盗を働いた犯罪人という意味ではなく、嘘をついたり、人をねたんだり、貪欲な心を持ったり、利己的な自己中心的な心で、道徳的に幅広い意味を持つものです。

天地創造主なる神を信じないこと、良いとわかっていても行わないことも罪になります。

そう考えると、どんな人間も、みな罪人になります。

聖書はこの罪を持った人は、地上で、心に穴が開いて、風が通るような虚しい人生を歩むばかりか、死後、神の安らぎから隔離された、永遠の滅びを受けると言っています。

しかし、イエス・キリストを信じる者は、心の目が開かれ、何が善であり悪であるか、より明らかにされます。

イエスを信じる者は、罪が赦され、心に神との平安、喜びが与えられるばかりか、死後、天国に入り、苦しみ、悩み、悲しみ、痛みのない、神を賛美する平安と喜びの中に生かされます。

罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」— ローマ 6:23

例え、肉体、精神が救われても、霊が回復されていなければ、すなわち罪から救われていなければ、天国に行くことはできません。

天国は清いところなので、汚れた罪が赦され、罪から救われていなければ、天国に入れないのです。

罪から開放され、救われるのは自分の力、他者の助けを借りても無理です。

聖書は、罪から救われ霊的平和、喜びを受け、天国に行けるのは、イエス・キリストを通してだけだと断言しています。

そして、この罪からの救いは、罪を悔い改め、イエスを信じる者は無条件で救われるのです。

罪からの救いは、イエスを信じる者には誰でも100%保証されていますが、貧乏から、病気から、精神的な苦しみからの救いは、100%保証されていません。

使徒パウロはイエス様を信じることで、心の目が開かれ、クリスチャンを迫害していた者が、人々をイエス導くために命を捧げました。

そして、このパウロの伝道によって、この看守の心の目は開かれ、イエス様を信じて、彼も、彼の家族も救われました。

奥平和明

久しぶりに奥平先生の渾身のメッセージを拝読できて、新たに心の目が開かれた思いです。

クリスチャンが1パーセントにも満たない我が国で、「罪」や「イエス・キリストの救い」を述べ伝えても、軽くいなされ、バカにされるのがオチですが、

全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を述べ伝えなさい。」— マルコ 16:15

信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。」— マルコ 16:16

とのように主が仰っておられるのですから、御子イエス・キリストによって救われたおかげで、御父であられる神様から罪を赦された者たちは、例え相手が信じなくとも、福音を述べ伝える義務があるのだと確信しました。

信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」— ヨハネ 20:27

あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」— ヨハネ 20:29

アーメン

安西七子

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